りょう子の部屋は、朝美の想像していたよりは地味な作りをしているように思えた。それでも、天井全体に淡く白い光を浮かび上がらせる、仕組みのわからない照明と、部屋の中央に浮かぶような位置の、小振りなペンダントライトの組み合わせは洒落た演出ではあるのだが。重たい青のカーテンは窓から射すであろう光を一切受け付けようとしない。見ると、両端にレースの白いカーテンが束ねられていて、どうやらりょう子の気分によって選んで使用出来るらしい。りょう子本人が考えたとは考えにくい、粋なはからいであると朝美は皮肉に思う。
・・・・・・例えばそういった、部屋の内装を整えたであろう誰かのデザインとは関わりのない、部屋の持ち主であるりょう子自身の個性である彼女の私物が、朝美の想像していたよりはずっとシンプルだったのだ。座るといかにも心地良さそうなふかふかのソファーに隙間なく占拠するぬいぐるみ達はともかく、本棚に並ぶのは漫画よりむしろ小説。雑誌はどちらかといえば大人向けのファッション誌だの文芸誌だの週刊誌だので、女子中学生らしい幼さや華やかさというものが感じにくいラインナップだった。それが彼女の両親の関わった本である、ということに気付くまでには、朝美の思考も研ぎ澄まされていることもなく年相応なのだった。
招かれたとはいえ、人の部屋に入って本棚の中身をチェックするのも不躾だが、りょう子にそれを嫌がる様子もなく、朝美も他にすることがあるわけでもない。本の背表紙を並ぶ順番に流し読みをするうち、朝美は1冊の本に気が向いた。
「りょう子、この前の理科のテスト、成績良かったって言ってたっけ」
「うん! 得意なんだ。星のことに関してだけはね」
「へぇ。星、好きだったのね」
基本的に、試験の成績は良い方でないりょう子だが、先日の理科の小テストでは満点に近く、クラスでトップの点数だったと発表された。朝美がそれを思い出したのは、りょう子の本棚の中に星座の本があったから。小テストの内容は星座や宇宙といった、天体に関する問題に限定していたのだ。
「好きっていうかね、この部屋から星がよく見えるんだ。この町って夜は意外と暗いじゃない?」
「ああ、まぁね」
山奥だの山のふもとの田舎町、と比べたら星空の鮮明さはさすがに劣るだろう。しかしこの町は、大都会ではないとしても都心に遠くなく、住宅が密集しそれなりに人口もある、立派な地方都市である。・・・・・・であったとしても、夜は星が見えやすい程度に空が暗いというのは朝美も覚えがあった。街灯の数が少ないから、夜道を1人で歩こうものならそれなりの恐怖心を覚えるというのもしかり。この木庭町は夜遅くまでにぎわうような繁華街がなく、さらに面積の大部分を川と工場群に占められているから、夜の人工的な光源に乏しいというのは少し考えればわかることだった。
「やっぱり、見えるとなると、星座を探してみたり、あの星の名前はなんていうんだっけ? なんて考えてみたりするのが楽しくって」
りょう子の言い分を受けて、あらためて見ると、なるほどと思う。白い部屋に似つかわしくない青いカーテンに、ところどころ、複数の白い点がちりばめられ、さらにそれらを黄色い線がつなぎ、いくつもの星座が描かれているのがわかった。
何はともあれ、買ってきたアイスクリームはさっさと片づけるべきだと、2人はそれぞれにアイスのカップを手に取る。朝美が立ったまま最初のひと口を味わっていると、
「ねえ、涼原ちゃん。ベランダに出て、外を見てみない?」
「これ、食べ終わってからでいいんじゃないの?」
「たぶん、今がちょうどいい時間なんだと思うんだけどな~。それにせっかくの『買い食い』は、外で食べるのが美味しいと思うんだ! ・・・・・・まぁ、本当は、いつもはベランダで何か食べるの禁止って言われてるからしないんだけど」
それは、りょう子の数ある「あこがれ」の中のひとつだった。
「でも今日は涼原ちゃんがいるから、パパもママも、きっと特別、許してくれると思う・・・・・・」
あたしがいることの何が特別なのか、と、朝美は釈然としないながら、別に強硬に拒むようなこととも思わないので、りょう子の希望に沿ってやることにした。
「ありがと、涼原ちゃん!」
くったくないりょう子の笑みを見ていると、彼女が殊更に、人からーーというか、同年代の女子から、か? などと朝美はこっそり首を傾げてーー疎まれるのが、理解出来ない。彼女の、物理的な意味で恵まれている、と思われる環境が、未熟な少女達の僻みを買うのは予想出来る。
それにしても、だ。こう、人に悪意を抱くことのない素直な性格には、友達付き合いをするなら好ましく、身も蓋もない言い方をすれば誰かしらに需要はあるように思うのだが。そう、まるで人に合わせるつもりのない自分とは違って、と朝美は思う。
りょう子の部屋から出るベランダは、洗濯物や布団を干す程度の、最小限のスペースでしかなかった。一方、隣接する、リビングから出るらしいベランダは大げさに広く、パラソル付きのテーブルと椅子のセットもあれば簡単なガーデニングの花壇まであって、朝美はもはや呆れの境地に達していた。
地上30階のベランダに立って眺める景色は、高所恐怖症の気のない朝美にとっても予想外に心細さを覚えさせた。隣の広いベランダなら足下もしっかりしているのだろうが、りょう子の小さなベランダは少々心許ない。地上で感じるより強い風に顔を絶えず叩き付けられるようで、少しでも気を抜いたら、ふらり倒れて地上へ真っ逆様。そんな気弱は想像がらしくもなく、頭をよぎってしまう。
「最近、けっこう日が短くなってきたよねぇ。見て、あっち、もう空が真っ赤だよ」
はしゃぎがちなりょう子の様子に、朝美には、彼女が何をそんなに楽しんでいるのかよくわからない。りょう子はただ、普段、1人で眺めていたものを朝美と共有しているのが嬉しいだけなのだが。
10月も半ばを過ぎると、午後4時をまわったばかりの今も、夕日は町の地平へ去る準備を始めているようだ。木庭町を分断する、幅の広い大きな川の真ん中に沈もうとする太陽の赤は、この高見から見ると圧巻である。
この時間、川沿いに並ぶ工場群はまだ稼働を止めてはいない。長い煙突の上に、朝美が今手にしているカップの中のアイスのような、丸みのある煙が滞っている。実家の家業とそれらの工場では内容こそ違えど、この故郷を象徴する産業であるから、朝美も少しばかり親しみを覚える。
今日は雲ひとつない秋晴れだったから、薄赤い、見落としそうなほどにささやかグラデーションがかった空はまるでスクリーンのようだった。どういうわけか、作りものめいて空という現実味が感じられなかった。
と、いうよりも、普段、地上から見上げる空や目に入る景色とは気にもならない、決定的な違いがあった。
・・・・・・何もかもが、遠い。町を赤く染める夕日も、自分を含め多くの人が暮らしているはずの、馴染みの町も。ありふれた町なのに、ここにいる自分には決して手の届かない世界であるような。そんな錯覚があった。
高い場所は神様に近いから、人の世界からさらわれてしまう。そんな「かみかくし」を恐れていた少年がいたという。同級生の湖月雅志からその話を聞いた時は荒唐無稽だと思ったものだが、今ならその気持ちもわかる気がした。
「・・・・・・あたし、中に戻るわ。風が強すぎて、ここでアイス食べようって気にはなんないわよ」
「そう? 残念だなぁ」
当てつけのように、残っていたアイスを一気に口に入れたりょう子はその冷たさに悶絶し、狭いベランダで危なっかしくふらついている。彼女の両親がベランダでの食事を禁じたのはこうなるのが目に見えていたからなんだろう、と、朝美は察しがついた。
幸い、りょう子が転落するようなこともなく、安心をため息にして吐き出す。振り返った室内に、本来、朝美が目的にしていたものが目に入った。とっさに、自分の胸元に下げてあった赤い石のネックレスを手に取る。
「あんたの石って、あれ?」
りょう子の部屋の中央、ペンダントライト。入り口付近からは死角になっていたその位置に、黄色い、ひし形の石がぶら下がっていた。朝美の赤い石より透明度が高く、窓からの光を跳ねて煌めいている。
「そう。そこにあると、きらきらして、お星さまみたいでしょ?」
「その発想はなかったわ・・・・・・」
ロマンチック、とでもいうのか、自分にはない感性に、朝美は素直に感心した。
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イリサ「読んでくださりありがとうございました!」
・・・・・・例えばそういった、部屋の内装を整えたであろう誰かのデザインとは関わりのない、部屋の持ち主であるりょう子自身の個性である彼女の私物が、朝美の想像していたよりはずっとシンプルだったのだ。座るといかにも心地良さそうなふかふかのソファーに隙間なく占拠するぬいぐるみ達はともかく、本棚に並ぶのは漫画よりむしろ小説。雑誌はどちらかといえば大人向けのファッション誌だの文芸誌だの週刊誌だので、女子中学生らしい幼さや華やかさというものが感じにくいラインナップだった。それが彼女の両親の関わった本である、ということに気付くまでには、朝美の思考も研ぎ澄まされていることもなく年相応なのだった。
招かれたとはいえ、人の部屋に入って本棚の中身をチェックするのも不躾だが、りょう子にそれを嫌がる様子もなく、朝美も他にすることがあるわけでもない。本の背表紙を並ぶ順番に流し読みをするうち、朝美は1冊の本に気が向いた。
「りょう子、この前の理科のテスト、成績良かったって言ってたっけ」
「うん! 得意なんだ。星のことに関してだけはね」
「へぇ。星、好きだったのね」
基本的に、試験の成績は良い方でないりょう子だが、先日の理科の小テストでは満点に近く、クラスでトップの点数だったと発表された。朝美がそれを思い出したのは、りょう子の本棚の中に星座の本があったから。小テストの内容は星座や宇宙といった、天体に関する問題に限定していたのだ。
「好きっていうかね、この部屋から星がよく見えるんだ。この町って夜は意外と暗いじゃない?」
「ああ、まぁね」
山奥だの山のふもとの田舎町、と比べたら星空の鮮明さはさすがに劣るだろう。しかしこの町は、大都会ではないとしても都心に遠くなく、住宅が密集しそれなりに人口もある、立派な地方都市である。・・・・・・であったとしても、夜は星が見えやすい程度に空が暗いというのは朝美も覚えがあった。街灯の数が少ないから、夜道を1人で歩こうものならそれなりの恐怖心を覚えるというのもしかり。この木庭町は夜遅くまでにぎわうような繁華街がなく、さらに面積の大部分を川と工場群に占められているから、夜の人工的な光源に乏しいというのは少し考えればわかることだった。
「やっぱり、見えるとなると、星座を探してみたり、あの星の名前はなんていうんだっけ? なんて考えてみたりするのが楽しくって」
りょう子の言い分を受けて、あらためて見ると、なるほどと思う。白い部屋に似つかわしくない青いカーテンに、ところどころ、複数の白い点がちりばめられ、さらにそれらを黄色い線がつなぎ、いくつもの星座が描かれているのがわかった。
何はともあれ、買ってきたアイスクリームはさっさと片づけるべきだと、2人はそれぞれにアイスのカップを手に取る。朝美が立ったまま最初のひと口を味わっていると、
「ねえ、涼原ちゃん。ベランダに出て、外を見てみない?」
「これ、食べ終わってからでいいんじゃないの?」
「たぶん、今がちょうどいい時間なんだと思うんだけどな~。それにせっかくの『買い食い』は、外で食べるのが美味しいと思うんだ! ・・・・・・まぁ、本当は、いつもはベランダで何か食べるの禁止って言われてるからしないんだけど」
それは、りょう子の数ある「あこがれ」の中のひとつだった。
「でも今日は涼原ちゃんがいるから、パパもママも、きっと特別、許してくれると思う・・・・・・」
あたしがいることの何が特別なのか、と、朝美は釈然としないながら、別に強硬に拒むようなこととも思わないので、りょう子の希望に沿ってやることにした。
「ありがと、涼原ちゃん!」
くったくないりょう子の笑みを見ていると、彼女が殊更に、人からーーというか、同年代の女子から、か? などと朝美はこっそり首を傾げてーー疎まれるのが、理解出来ない。彼女の、物理的な意味で恵まれている、と思われる環境が、未熟な少女達の僻みを買うのは予想出来る。
それにしても、だ。こう、人に悪意を抱くことのない素直な性格には、友達付き合いをするなら好ましく、身も蓋もない言い方をすれば誰かしらに需要はあるように思うのだが。そう、まるで人に合わせるつもりのない自分とは違って、と朝美は思う。
りょう子の部屋から出るベランダは、洗濯物や布団を干す程度の、最小限のスペースでしかなかった。一方、隣接する、リビングから出るらしいベランダは大げさに広く、パラソル付きのテーブルと椅子のセットもあれば簡単なガーデニングの花壇まであって、朝美はもはや呆れの境地に達していた。
地上30階のベランダに立って眺める景色は、高所恐怖症の気のない朝美にとっても予想外に心細さを覚えさせた。隣の広いベランダなら足下もしっかりしているのだろうが、りょう子の小さなベランダは少々心許ない。地上で感じるより強い風に顔を絶えず叩き付けられるようで、少しでも気を抜いたら、ふらり倒れて地上へ真っ逆様。そんな気弱は想像がらしくもなく、頭をよぎってしまう。
「最近、けっこう日が短くなってきたよねぇ。見て、あっち、もう空が真っ赤だよ」
はしゃぎがちなりょう子の様子に、朝美には、彼女が何をそんなに楽しんでいるのかよくわからない。りょう子はただ、普段、1人で眺めていたものを朝美と共有しているのが嬉しいだけなのだが。
10月も半ばを過ぎると、午後4時をまわったばかりの今も、夕日は町の地平へ去る準備を始めているようだ。木庭町を分断する、幅の広い大きな川の真ん中に沈もうとする太陽の赤は、この高見から見ると圧巻である。
この時間、川沿いに並ぶ工場群はまだ稼働を止めてはいない。長い煙突の上に、朝美が今手にしているカップの中のアイスのような、丸みのある煙が滞っている。実家の家業とそれらの工場では内容こそ違えど、この故郷を象徴する産業であるから、朝美も少しばかり親しみを覚える。
今日は雲ひとつない秋晴れだったから、薄赤い、見落としそうなほどにささやかグラデーションがかった空はまるでスクリーンのようだった。どういうわけか、作りものめいて空という現実味が感じられなかった。
と、いうよりも、普段、地上から見上げる空や目に入る景色とは気にもならない、決定的な違いがあった。
・・・・・・何もかもが、遠い。町を赤く染める夕日も、自分を含め多くの人が暮らしているはずの、馴染みの町も。ありふれた町なのに、ここにいる自分には決して手の届かない世界であるような。そんな錯覚があった。
高い場所は神様に近いから、人の世界からさらわれてしまう。そんな「かみかくし」を恐れていた少年がいたという。同級生の湖月雅志からその話を聞いた時は荒唐無稽だと思ったものだが、今ならその気持ちもわかる気がした。
「・・・・・・あたし、中に戻るわ。風が強すぎて、ここでアイス食べようって気にはなんないわよ」
「そう? 残念だなぁ」
当てつけのように、残っていたアイスを一気に口に入れたりょう子はその冷たさに悶絶し、狭いベランダで危なっかしくふらついている。彼女の両親がベランダでの食事を禁じたのはこうなるのが目に見えていたからなんだろう、と、朝美は察しがついた。
幸い、りょう子が転落するようなこともなく、安心をため息にして吐き出す。振り返った室内に、本来、朝美が目的にしていたものが目に入った。とっさに、自分の胸元に下げてあった赤い石のネックレスを手に取る。
「あんたの石って、あれ?」
りょう子の部屋の中央、ペンダントライト。入り口付近からは死角になっていたその位置に、黄色い、ひし形の石がぶら下がっていた。朝美の赤い石より透明度が高く、窓からの光を跳ねて煌めいている。
「そう。そこにあると、きらきらして、お星さまみたいでしょ?」
「その発想はなかったわ・・・・・・」
ロマンチック、とでもいうのか、自分にはない感性に、朝美は素直に感心した。
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