掃除の終わる頃合いを見計らって、教室へ戻ると、
「涼原ちゃん、お待たせー!」
いつも以上に馴れ馴れしいりょう子が、朝美に抱きついてくる。
「あーもう、暑苦しいじゃない」
「えー、つれなーい。でも、涼原ちゃんらしい!」
素直な感情を伝えても、りょう子はくじける素振りもない。
「まぁいいわ。当番終わったんなら、さっさと行きましょ」
「えっ、もう!?」
「もう、って、そりゃそうでしょ。他に何があるっていうの」
「せっかく一緒に帰るんだからー、どっか寄り道していこうよ。あのね、商店街に新しいアイス屋さんが出来たんだよ」
「アイスぅ~?」
特段、アイスが欲しい気分でもなかったが、さりとて断る理由があるでもない。・・・・・・まぁ、今回はりょう子の世話になるわけだし、彼女の希望に合わせてやるべきかもしれない。渋々だが、朝美は了承した。
「やったぁ、行こ行こー!」
歓喜の気持ちがおさえられなかったのか、勢いでりょう子は朝美の手を取り、引いて走り出そうとした。さすがに朝美もこれは振り払う。
「だからっ、暑いって言ったでしょうがっ」
まぁ、これからアイスを食べる上では、暑苦しいのも良い案配かもしれないと頭をよぎるが、りょう子をさらに調子づかせるだけだとわかりきっていたので口には出さなかった。
りょう子に連れられてたどり着いたアイス屋は、白と水色のツートンカラーの壁紙に、カラフルな水玉が描かれていた。水玉は実際に売られているアイスを模し、全種類を網羅してあってこれがメニューの代わりになっているのだとりょう子が説明する。朝美の想像よりは種類豊富なアイス屋なのだが、彼女はメニューを見る前からバニラアイスを注文すると決めていたのでありがたみは感じなかった。
「いらっしゃいませぇ~、って、お嬢さん、よく会うね」
アイスのショーケース向こうで、制服らしい青いエプロンをつけた少女は、朝美とすでに2度ほど通りがかりに遭遇したあの少女だった。やわらかくウェーブがかったセミロングの茶髪は、飲食店だからだろう、今回は後ろでひとつに束ねた上で頭をバンダナで覆っている。
「涼原ちゃん、知り合い?」
無意識だろうが、りょう子は不躾に、少女へ人差し指を向ける。
「あれっ、奇遇ねぇ。あたしもすずはらっていうのよ。鈴原麻子(すずはらあさこ)」
涼原朝美に、鈴原麻子。文字にすると共通点は少ないが、音で聞くなら確かにひと文字違いである。学校が同じなどの繋がりなく、たまたまに出会った同士なら確かに驚くべき一致であるかもしれない、と、朝美も認める。
「顔見知りってだけよ。あたしは涼原朝美。こっちは同じクラスの田中りょう子」
はじめにりょう子へ、次に麻子へそれぞれ説明する。
「えーっ、涼原ちゃんそこは『友達の』とか言ってくれてもいいのにー」
「言い方なんか何だっていいでしょ。細かい奴ね」
自分には理解出来ないような横やりが、わずらわしい朝美だった。
「よーし、お近づきのしるしにアイスひと玉サービスしちゃおうか」
「え、ほんと? ラッキー!」
飲食店のアルバイトにそういう行為が許されるのだろうか、というのが、喜ぶより先に浮かぶ朝美だったが、
「ちょっと、鈴原さん」
案の定、店の奥から出てきた経営者らしい若い男が、ちょいちょいと麻子を手招きする。
今の時間、麻子以外の店員は店に立っていないらしい。開店したばかりのアイス屋で、下校時刻というおあつらえむきな条件で、朝美達を除いて客の姿もない。だからこうして麻子が店の奥へ引き込んでも支障がない。
ばつの悪そうなにやけ顔で戻ってきた麻子は、
「あはっ、やっぱダメだってー」
「なーんだ、がっかり・・・・・・」
「あなた、そういう不用意な行動が多くて、前の仕事をクビになったんじゃないでしょうね」
「失敬な! そんなことないよーだ」
「じゃ、本屋のアルバイトはどうしたのよ」
違う、と言いつつ、朝美がたたみかけると、麻子は苦笑いで二の句も告げない。
「やっぱ、クビ?」
「うう、あさみっちの追求が厳しくて、うっかり隠し通せなかったじゃないぃ・・・・・・」
「別に隠すことないじゃない。あたしらなんかまだ働いたことさえないんだから」
働く意欲があるだけ大したものだし、その年齢に達していないとはいえ就労経験のない自分達に、たとえ麻子が前の仕事で何をやらかしていたとして非難する資格などない。
お持ち帰りにしてもらったアイスの箱を、りょう子は胸に抱き込むように歩いていく。せっかくのアイスが溶けやしないかと朝美は思い、しかしドライアイスが入っているから何とか持ちこたえるだろうとも思い。そして、そんな格好でりょう子は胸元が冷たくはないのだろうかとぼんやりと思った。
「いい人そうだねー、鈴原さんって」
まぁ、感じが悪そうではないことは確かだと、朝美も同意する。
「アルバイトしてるってことは高校生だよね。やっぱり木庭高校なのかなぁ。すごいよね~」
木庭町にある高校は、朝美達がエスカレーター式で進学する城参海大学付属高校と、進学校として誉れ高い県立木庭高校だ。少なくとも校内で麻子を見かけたことがないから、と、りょう子は単純に木庭高校の名前を出したのだろうが、麻子がこの町に住んでいて電車で通学しているなら、在籍校が木庭町に限られるわけではない。
「ちなみにー、うちの学校は高校に上がってもアルバイト禁止だからね?」
「知ってるわよ、それくらい。残念・・・・・・ていうか、間抜けな話だとは思うけどね。何だって、せっかく就労の機会とか経験とか、わざわざ制限する必要があるのかしら」
高校生にもなれば、何か買いたいものがあるという時、いちいち親に資金をせびらず自分で稼いだお金を使おうというのだまともな精神ではないかと朝美は思うのだが。
「それはさ、もしかしたら――働くのは大人になってから嫌でもしないといけない、いくらでも出来るから――子供の内は子供らしく、遊んで、毎日楽しく過ごした方がいいってことかもよ?」
りょう子が、こんな風に自分の意見を述べるのは珍しいことで、朝美はついまじまじと彼女の顔をうかがってしまう。そこには控えめながら、確かな自信が見て取れた――信念に基づいた発言なのだろう。
「わからなくはないけど、それも余計なお節介でしょ・・・・・・そんなの当人の性格次第なんだから」
お子さまだから、遊んでいたい。お子さまだけど、お金を稼いで自分の好きなようにしたい。そのどちらを望むかは
「あたしは、大人が考えて決めた校則なら、どっかにちゃんと意味があると思うなー・・・・・・・あたしのパパ、ママがね、よく言うんだよ。子供の頃にしか出来なかったこと、しちゃいけなかったこと。大人になってからどれだけ後悔するかっていうのは、あたし達には絶対わからないって」
「・・・・・・・後悔、ね」
過ぎ去ってしまった日々への後悔は、朝美にも覚えがあった。それにも関わらず、今の自分は、ただ惰性のままに暮らしている。楽しみにしている物事もなく、必要な家事だの学業だのを無難にこなし、唯一「自分」という存在を意識出来るのは、自宅の縁側に腰を下ろし、夕暮れに赤く染まる庭をただ眺めているあの時だけ。
失ってしまったのは幼い日々だけではない。その時の中に、朝美は心を捨ててきてしまったのだ、と思った。だから今の自分は空っぽで、流れゆく毎日に何も感じることが出来ないのだ、とも。
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イリサ「読んでくださりありがとうございました!」
「涼原ちゃん、お待たせー!」
いつも以上に馴れ馴れしいりょう子が、朝美に抱きついてくる。
「あーもう、暑苦しいじゃない」
「えー、つれなーい。でも、涼原ちゃんらしい!」
素直な感情を伝えても、りょう子はくじける素振りもない。
「まぁいいわ。当番終わったんなら、さっさと行きましょ」
「えっ、もう!?」
「もう、って、そりゃそうでしょ。他に何があるっていうの」
「せっかく一緒に帰るんだからー、どっか寄り道していこうよ。あのね、商店街に新しいアイス屋さんが出来たんだよ」
「アイスぅ~?」
特段、アイスが欲しい気分でもなかったが、さりとて断る理由があるでもない。・・・・・・まぁ、今回はりょう子の世話になるわけだし、彼女の希望に合わせてやるべきかもしれない。渋々だが、朝美は了承した。
「やったぁ、行こ行こー!」
歓喜の気持ちがおさえられなかったのか、勢いでりょう子は朝美の手を取り、引いて走り出そうとした。さすがに朝美もこれは振り払う。
「だからっ、暑いって言ったでしょうがっ」
まぁ、これからアイスを食べる上では、暑苦しいのも良い案配かもしれないと頭をよぎるが、りょう子をさらに調子づかせるだけだとわかりきっていたので口には出さなかった。
りょう子に連れられてたどり着いたアイス屋は、白と水色のツートンカラーの壁紙に、カラフルな水玉が描かれていた。水玉は実際に売られているアイスを模し、全種類を網羅してあってこれがメニューの代わりになっているのだとりょう子が説明する。朝美の想像よりは種類豊富なアイス屋なのだが、彼女はメニューを見る前からバニラアイスを注文すると決めていたのでありがたみは感じなかった。
「いらっしゃいませぇ~、って、お嬢さん、よく会うね」
アイスのショーケース向こうで、制服らしい青いエプロンをつけた少女は、朝美とすでに2度ほど通りがかりに遭遇したあの少女だった。やわらかくウェーブがかったセミロングの茶髪は、飲食店だからだろう、今回は後ろでひとつに束ねた上で頭をバンダナで覆っている。
「涼原ちゃん、知り合い?」
無意識だろうが、りょう子は不躾に、少女へ人差し指を向ける。
「あれっ、奇遇ねぇ。あたしもすずはらっていうのよ。鈴原麻子(すずはらあさこ)」
涼原朝美に、鈴原麻子。文字にすると共通点は少ないが、音で聞くなら確かにひと文字違いである。学校が同じなどの繋がりなく、たまたまに出会った同士なら確かに驚くべき一致であるかもしれない、と、朝美も認める。
「顔見知りってだけよ。あたしは涼原朝美。こっちは同じクラスの田中りょう子」
はじめにりょう子へ、次に麻子へそれぞれ説明する。
「えーっ、涼原ちゃんそこは『友達の』とか言ってくれてもいいのにー」
「言い方なんか何だっていいでしょ。細かい奴ね」
自分には理解出来ないような横やりが、わずらわしい朝美だった。
「よーし、お近づきのしるしにアイスひと玉サービスしちゃおうか」
「え、ほんと? ラッキー!」
飲食店のアルバイトにそういう行為が許されるのだろうか、というのが、喜ぶより先に浮かぶ朝美だったが、
「ちょっと、鈴原さん」
案の定、店の奥から出てきた経営者らしい若い男が、ちょいちょいと麻子を手招きする。
今の時間、麻子以外の店員は店に立っていないらしい。開店したばかりのアイス屋で、下校時刻というおあつらえむきな条件で、朝美達を除いて客の姿もない。だからこうして麻子が店の奥へ引き込んでも支障がない。
ばつの悪そうなにやけ顔で戻ってきた麻子は、
「あはっ、やっぱダメだってー」
「なーんだ、がっかり・・・・・・」
「あなた、そういう不用意な行動が多くて、前の仕事をクビになったんじゃないでしょうね」
「失敬な! そんなことないよーだ」
「じゃ、本屋のアルバイトはどうしたのよ」
違う、と言いつつ、朝美がたたみかけると、麻子は苦笑いで二の句も告げない。
「やっぱ、クビ?」
「うう、あさみっちの追求が厳しくて、うっかり隠し通せなかったじゃないぃ・・・・・・」
「別に隠すことないじゃない。あたしらなんかまだ働いたことさえないんだから」
働く意欲があるだけ大したものだし、その年齢に達していないとはいえ就労経験のない自分達に、たとえ麻子が前の仕事で何をやらかしていたとして非難する資格などない。
お持ち帰りにしてもらったアイスの箱を、りょう子は胸に抱き込むように歩いていく。せっかくのアイスが溶けやしないかと朝美は思い、しかしドライアイスが入っているから何とか持ちこたえるだろうとも思い。そして、そんな格好でりょう子は胸元が冷たくはないのだろうかとぼんやりと思った。
「いい人そうだねー、鈴原さんって」
まぁ、感じが悪そうではないことは確かだと、朝美も同意する。
「アルバイトしてるってことは高校生だよね。やっぱり木庭高校なのかなぁ。すごいよね~」
木庭町にある高校は、朝美達がエスカレーター式で進学する城参海大学付属高校と、進学校として誉れ高い県立木庭高校だ。少なくとも校内で麻子を見かけたことがないから、と、りょう子は単純に木庭高校の名前を出したのだろうが、麻子がこの町に住んでいて電車で通学しているなら、在籍校が木庭町に限られるわけではない。
「ちなみにー、うちの学校は高校に上がってもアルバイト禁止だからね?」
「知ってるわよ、それくらい。残念・・・・・・ていうか、間抜けな話だとは思うけどね。何だって、せっかく就労の機会とか経験とか、わざわざ制限する必要があるのかしら」
高校生にもなれば、何か買いたいものがあるという時、いちいち親に資金をせびらず自分で稼いだお金を使おうというのだまともな精神ではないかと朝美は思うのだが。
「それはさ、もしかしたら――働くのは大人になってから嫌でもしないといけない、いくらでも出来るから――子供の内は子供らしく、遊んで、毎日楽しく過ごした方がいいってことかもよ?」
りょう子が、こんな風に自分の意見を述べるのは珍しいことで、朝美はついまじまじと彼女の顔をうかがってしまう。そこには控えめながら、確かな自信が見て取れた――信念に基づいた発言なのだろう。
「わからなくはないけど、それも余計なお節介でしょ・・・・・・そんなの当人の性格次第なんだから」
お子さまだから、遊んでいたい。お子さまだけど、お金を稼いで自分の好きなようにしたい。そのどちらを望むかは
「あたしは、大人が考えて決めた校則なら、どっかにちゃんと意味があると思うなー・・・・・・・あたしのパパ、ママがね、よく言うんだよ。子供の頃にしか出来なかったこと、しちゃいけなかったこと。大人になってからどれだけ後悔するかっていうのは、あたし達には絶対わからないって」
「・・・・・・・後悔、ね」
過ぎ去ってしまった日々への後悔は、朝美にも覚えがあった。それにも関わらず、今の自分は、ただ惰性のままに暮らしている。楽しみにしている物事もなく、必要な家事だの学業だのを無難にこなし、唯一「自分」という存在を意識出来るのは、自宅の縁側に腰を下ろし、夕暮れに赤く染まる庭をただ眺めているあの時だけ。
失ってしまったのは幼い日々だけではない。その時の中に、朝美は心を捨ててきてしまったのだ、と思った。だから今の自分は空っぽで、流れゆく毎日に何も感じることが出来ないのだ、とも。
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イリサ「読んでくださりありがとうございました!」