学校帰りにりょう子の家に直行し、今夜は彼女の家に泊まる。その約束はあっても、本日、りょう子はたまたま掃除当番だったため、朝美は時間潰しに屋上へ向かっていた。
別段、りょう子のことが嫌いなわけではないのだが、他人の家に泊まるということがなんとなく、朝美に心身共に気だるさを覚えせている。特に、背中に重たいものを負っているような感覚を、歩きながら両腕を突き上げ、伸びをして晴らすことにした。
朝美は屋上の鍵を持っていないため、先客――屋上に引きこもりがちな、教室不登校生徒の湖月雅志がいなければ、そこへ入ることが出来ない。それならそれで、雅志が教室にいるというなら望ましいことで、朝美は構わないと思っていた。
そんな期待には反し、予想通りに、屋上の鍵は開放されていた。
「あ、涼原さん。久しぶり」
「久しぶりったって、たかだか1週間でしょうに」
屋上のフェンス際の段差に腰を下ろし、持ち込んだ書物に目を通すという、お定まりのポーズ。朝美に気が付くと、何事もなかったように顔を上げて本を閉じる。つくづくマイペースな奴だと朝美は思う・・・・・・他人に合わせるくらいなら、と1人で過ごすことの多かった自分が、人のことは言えないとも思いつつ。
雅志が屋上にいる理由を知ってしまったことで、朝美はそれまで足繁く通っていた屋上へ顔を出すことがなんとなくためらわれ、今週は今まで1度も、ここを訪れなかった。
「で、どうしたの? またここへ来るってことは、何かあったとか」
朝美がそうした理由を雅志も察していたのか、悪戯っぽい笑みを浮かべて問うてみせる。
「べっつに、待ち合わせまで時間があったから、暇つぶし」
思えばこの学校に転校してきてから、教室以外で、朝美がくつろいだ心地になれるのはこの屋上くらいだった。雅志とは――お互い、自分の居場所にこもって、人から距離を置いているという共通点もあって――波長が合うし、彼を除き人気のないこの場所は学校の喧噪から隔絶されているようで落ち着くのだ。
まるで、学校という場所から切り離されて宙に浮いている、空の中の小さな庭のように思えた。
「それと、あたしの知り合いにも、高い所がダメだって奴がいたんでさ・・・・・・」
少年からそう話された時、朝美は何故かここへ来たくなった。自分も高所に立って眺めを見て、少年が恐れるのは何か、少しでも理解したいと思った。
わざわざ学校の屋上に上がらずとも、今夜はここより数倍の高みにある、田中りょう子の家がある高層マンションを訪れるのだ。それでも屋上からの眺めを見たかったのは、そうした朝美の行動と同じことを、雅志はずっとしてきたというから。
朝美の担っていた家事の手伝いを、少年に頼むことにした、最初の夕暮れのことだった。
学校帰りに夕食の買い出しをし――少年をそれに付き合わせ、荷物の半分を彼に任せた――家へ戻る。いざ夕食の準備、と取りかかる前に、庭に面した縁側に腰を下ろし、赤く染まった庭を眺めるのが朝美の日課だ。
「ところで、あんた、そんなところに突っ立って何してんの?」
少年は廊下の角、陽の射し込まない暗がりに所在なげに立ち尽くし、どこか気まずいように朝美の様子をうかがっていた。
「あんたも1日、町中うろついたり買い物付き合ったりして疲れてるんでしょ? どっか座って休んだら?」
どこか、とは言っても、少年は涼原の家に一切のゆかりもない居候であり、くつろごうにもどこへ居所を見つけたらいいのかわからないのも無理はない。
「しょうがないわね・・・・・・ほら、おいで」
左腕を肩の高さに上げ投げやりな調子で手招きをする。とてとて、小さな体がこれまた小さな歩幅で近寄り、朝美の隣へ腰を落ち着ける。
「おれ、ここにいてもいいの?」
「どうして?」
「だって、ここは君の場所でしょ?」
以前も・・・・・・この家に来た当初から、少年は同じことを言っていた。1人きり、誰もいない庭を眺めるのは朝美の休息の時間であり、彼女の居場所だと。
確かに、朝美もそう思っていたのだが、今はそうした気遣いに反発してしまいたい自分がいた。
「あんなところで物欲しげに見られてたら、かえって落ち着かないし。・・・・・・別に、いやじゃないからいいわ」
朝美はいつからか、父親以外の他人に素直な気持ちを告げることに気恥ずかしさを覚えるようになってしまった。そんな自分をおかしいと思いつつ、そうした場面ではつい、本音の部分を薄めるための言い繕いを付け足してしまうのが癖になっている。
「あんたにその気があるならってことよ。ここじゃなくたって、居間でテレビ見ながらぐうたらしてたって構わないんだから」
「・・・・・・うん」
気後れするような目で朝美を見つめていた目を、ふいにおぼろげにして、少年は目を反らした。朝美がいつもそうしていたように、赤い庭へ目をやって、
「それなら、ここにいる」
ぽつり、呟いた。目の前を見ているようで、どこも見ていない・・・・・・意識に映していない目。
それはきっと、いつも自分がしていたのと同じ目なのだろう、と、思う。すると、得体の知れない、嬉しさのようなものが込み上げてくるような気がして、朝美は言葉が出なかった。
少年も話をしなかったから、2人は、朝美の気が済むまでそこにいて、黙り込んだまま時を過ごした。それに気まずさを覚えることもない、安らかな時間だった。
あんな風に、自分の居場所に誰かを入れて、気持ちを共有することが出来たなら、それはとても心地よいものだと思う。もし、雅志にもそう思える相手がいればーー望むものがありながら、それに近づくことにさえおそれを抱き、空に囲われたこの場所に閉じこもるようなことはしなくて済むだろうが。もちろん、どれだけネガティブな理由だとしても、ここが雅志の場所である以上、それを取り上げるつもりは朝美にはないのだが。
ただ、先日のように、家に帰ることもしないで、空の中で夜を明かすというのはさすがに心配しないわけのもいかない。
「ちょっと聞きたいんだけど、雅志、去年、田中りょう子と同じクラスだったのよね。どんな感じだったか覚えてる?」
これ以上考えていると、言いたくないお節介を口に出してしまいそうで、朝美は適当な話題を振った。
「どんな、って言っても、今と変わらないと思うよ。う~ん・・・・・・女の子のすることって、僕にはよくわからないね」
言い回しはややこしいが、女の子、というのがりょう子本人を示唆しているのではないというのはわかる表現だった。「今と同じ」・・・・・・クラスメイトの、男子生徒とは普通に話せるが、女生徒からは徹底的に省かれている。
「人なつこいし、明るいし、おまけに顔もかわいいし? 男連中からしょっちゅう告白されて、それもぜーんぶ断ってたって。それが余計に女の子達からヒンシュク買ったみたいだけど」
「まぁ、その手の輩は逆に告白されて承諾し続けたっていじめる時はいじめるんだから、どうにもならないんじゃない?」
朝美のように、孤立することが苦ににならない性格ならまだしも、りょう子はその真逆もいいところだから、さすがに朝美も彼女を不憫に思う。
ただ、どうやら彼女が女子から嫌われるのは今に始まったことではなく、朝美の知るずっと前からそうだったのだし、そうなるにはりょう子が人にそうさせる、根深い何かがある予感は出会って日の浅い朝美にもわかる。
いずれにしろ、雅志の言うとおり、朝美にも「女の子」達のやり口は陰湿で、理解は出来ないしするつもりもなかった。
「涼原さん、それ」
「え?」
おそらく自分の感情というものを、当たり障りのない「外面」で覆い隠しまくっているであろう雅志が、頓狂な声を上げるのは実に珍しい。何事かと思ったら、彼が「それ」というのは、
「これ?」
朝美が首から下げていた、ひし形の赤い石だった。
「申請したんだ。お守り?」
学校側に使用許可の申請をするような手間をかけてまで、おしゃれをするようなタイプには見えないのだろう、自分は。などと心中で自虐する。
「これと同じような石を探してるんだけど、あんた知らない?」
「――昔、知り合いが青いのを持ってたけど、もう繋がりのない人だから」
「友達? どこの学校とかもわからない?」
「今、この町にいるかどうかも・・・・・・」
いつも以上に仮面じみた笑みを張り付けて、雅志は呟いた。
「お役に立てなくて、ごめんね」
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イリサ「読んでくださりありがとうございました!」
別段、りょう子のことが嫌いなわけではないのだが、他人の家に泊まるということがなんとなく、朝美に心身共に気だるさを覚えせている。特に、背中に重たいものを負っているような感覚を、歩きながら両腕を突き上げ、伸びをして晴らすことにした。
朝美は屋上の鍵を持っていないため、先客――屋上に引きこもりがちな、教室不登校生徒の湖月雅志がいなければ、そこへ入ることが出来ない。それならそれで、雅志が教室にいるというなら望ましいことで、朝美は構わないと思っていた。
そんな期待には反し、予想通りに、屋上の鍵は開放されていた。
「あ、涼原さん。久しぶり」
「久しぶりったって、たかだか1週間でしょうに」
屋上のフェンス際の段差に腰を下ろし、持ち込んだ書物に目を通すという、お定まりのポーズ。朝美に気が付くと、何事もなかったように顔を上げて本を閉じる。つくづくマイペースな奴だと朝美は思う・・・・・・他人に合わせるくらいなら、と1人で過ごすことの多かった自分が、人のことは言えないとも思いつつ。
雅志が屋上にいる理由を知ってしまったことで、朝美はそれまで足繁く通っていた屋上へ顔を出すことがなんとなくためらわれ、今週は今まで1度も、ここを訪れなかった。
「で、どうしたの? またここへ来るってことは、何かあったとか」
朝美がそうした理由を雅志も察していたのか、悪戯っぽい笑みを浮かべて問うてみせる。
「べっつに、待ち合わせまで時間があったから、暇つぶし」
思えばこの学校に転校してきてから、教室以外で、朝美がくつろいだ心地になれるのはこの屋上くらいだった。雅志とは――お互い、自分の居場所にこもって、人から距離を置いているという共通点もあって――波長が合うし、彼を除き人気のないこの場所は学校の喧噪から隔絶されているようで落ち着くのだ。
まるで、学校という場所から切り離されて宙に浮いている、空の中の小さな庭のように思えた。
「それと、あたしの知り合いにも、高い所がダメだって奴がいたんでさ・・・・・・」
少年からそう話された時、朝美は何故かここへ来たくなった。自分も高所に立って眺めを見て、少年が恐れるのは何か、少しでも理解したいと思った。
わざわざ学校の屋上に上がらずとも、今夜はここより数倍の高みにある、田中りょう子の家がある高層マンションを訪れるのだ。それでも屋上からの眺めを見たかったのは、そうした朝美の行動と同じことを、雅志はずっとしてきたというから。
朝美の担っていた家事の手伝いを、少年に頼むことにした、最初の夕暮れのことだった。
学校帰りに夕食の買い出しをし――少年をそれに付き合わせ、荷物の半分を彼に任せた――家へ戻る。いざ夕食の準備、と取りかかる前に、庭に面した縁側に腰を下ろし、赤く染まった庭を眺めるのが朝美の日課だ。
「ところで、あんた、そんなところに突っ立って何してんの?」
少年は廊下の角、陽の射し込まない暗がりに所在なげに立ち尽くし、どこか気まずいように朝美の様子をうかがっていた。
「あんたも1日、町中うろついたり買い物付き合ったりして疲れてるんでしょ? どっか座って休んだら?」
どこか、とは言っても、少年は涼原の家に一切のゆかりもない居候であり、くつろごうにもどこへ居所を見つけたらいいのかわからないのも無理はない。
「しょうがないわね・・・・・・ほら、おいで」
左腕を肩の高さに上げ投げやりな調子で手招きをする。とてとて、小さな体がこれまた小さな歩幅で近寄り、朝美の隣へ腰を落ち着ける。
「おれ、ここにいてもいいの?」
「どうして?」
「だって、ここは君の場所でしょ?」
以前も・・・・・・この家に来た当初から、少年は同じことを言っていた。1人きり、誰もいない庭を眺めるのは朝美の休息の時間であり、彼女の居場所だと。
確かに、朝美もそう思っていたのだが、今はそうした気遣いに反発してしまいたい自分がいた。
「あんなところで物欲しげに見られてたら、かえって落ち着かないし。・・・・・・別に、いやじゃないからいいわ」
朝美はいつからか、父親以外の他人に素直な気持ちを告げることに気恥ずかしさを覚えるようになってしまった。そんな自分をおかしいと思いつつ、そうした場面ではつい、本音の部分を薄めるための言い繕いを付け足してしまうのが癖になっている。
「あんたにその気があるならってことよ。ここじゃなくたって、居間でテレビ見ながらぐうたらしてたって構わないんだから」
「・・・・・・うん」
気後れするような目で朝美を見つめていた目を、ふいにおぼろげにして、少年は目を反らした。朝美がいつもそうしていたように、赤い庭へ目をやって、
「それなら、ここにいる」
ぽつり、呟いた。目の前を見ているようで、どこも見ていない・・・・・・意識に映していない目。
それはきっと、いつも自分がしていたのと同じ目なのだろう、と、思う。すると、得体の知れない、嬉しさのようなものが込み上げてくるような気がして、朝美は言葉が出なかった。
少年も話をしなかったから、2人は、朝美の気が済むまでそこにいて、黙り込んだまま時を過ごした。それに気まずさを覚えることもない、安らかな時間だった。
あんな風に、自分の居場所に誰かを入れて、気持ちを共有することが出来たなら、それはとても心地よいものだと思う。もし、雅志にもそう思える相手がいればーー望むものがありながら、それに近づくことにさえおそれを抱き、空に囲われたこの場所に閉じこもるようなことはしなくて済むだろうが。もちろん、どれだけネガティブな理由だとしても、ここが雅志の場所である以上、それを取り上げるつもりは朝美にはないのだが。
ただ、先日のように、家に帰ることもしないで、空の中で夜を明かすというのはさすがに心配しないわけのもいかない。
「ちょっと聞きたいんだけど、雅志、去年、田中りょう子と同じクラスだったのよね。どんな感じだったか覚えてる?」
これ以上考えていると、言いたくないお節介を口に出してしまいそうで、朝美は適当な話題を振った。
「どんな、って言っても、今と変わらないと思うよ。う~ん・・・・・・女の子のすることって、僕にはよくわからないね」
言い回しはややこしいが、女の子、というのがりょう子本人を示唆しているのではないというのはわかる表現だった。「今と同じ」・・・・・・クラスメイトの、男子生徒とは普通に話せるが、女生徒からは徹底的に省かれている。
「人なつこいし、明るいし、おまけに顔もかわいいし? 男連中からしょっちゅう告白されて、それもぜーんぶ断ってたって。それが余計に女の子達からヒンシュク買ったみたいだけど」
「まぁ、その手の輩は逆に告白されて承諾し続けたっていじめる時はいじめるんだから、どうにもならないんじゃない?」
朝美のように、孤立することが苦ににならない性格ならまだしも、りょう子はその真逆もいいところだから、さすがに朝美も彼女を不憫に思う。
ただ、どうやら彼女が女子から嫌われるのは今に始まったことではなく、朝美の知るずっと前からそうだったのだし、そうなるにはりょう子が人にそうさせる、根深い何かがある予感は出会って日の浅い朝美にもわかる。
いずれにしろ、雅志の言うとおり、朝美にも「女の子」達のやり口は陰湿で、理解は出来ないしするつもりもなかった。
「涼原さん、それ」
「え?」
おそらく自分の感情というものを、当たり障りのない「外面」で覆い隠しまくっているであろう雅志が、頓狂な声を上げるのは実に珍しい。何事かと思ったら、彼が「それ」というのは、
「これ?」
朝美が首から下げていた、ひし形の赤い石だった。
「申請したんだ。お守り?」
学校側に使用許可の申請をするような手間をかけてまで、おしゃれをするようなタイプには見えないのだろう、自分は。などと心中で自虐する。
「これと同じような石を探してるんだけど、あんた知らない?」
「――昔、知り合いが青いのを持ってたけど、もう繋がりのない人だから」
「友達? どこの学校とかもわからない?」
「今、この町にいるかどうかも・・・・・・」
いつも以上に仮面じみた笑みを張り付けて、雅志は呟いた。
「お役に立てなくて、ごめんね」
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イリサ「読んでくださりありがとうございました!」