本日の秋空はやや曇りがちで、あまりさわやかさは感じられない。そんな日でも雅志はやっぱり屋上にいるし、そんな彼に朝美も会いに行く。いつも通りの昼休みだった。
「そういやあんたさ、この屋上の鍵、どうやって開け閉めしてるわけ?」
今更になってそんなことが気になったのは、6時限目の体育、朝美のクラスは屋上でドッジボールをすることになった。体育係は職員室へ鍵を借りに行き、授業が終われば返しに行く。屋上の鍵は特に厳重に管理されるため、無許可で、勝手に持ち出すのは困難であるはず。と、今更ながら思い至ったのだ。
「僕、天文部の部長なんだー。天文部は屋上で活動するから専用の鍵を持ってるんだよ」
「部長って、中学部の2年で? そんなことありえるの?」
この学校は中高一貫の私立学校であり、部長は高等部の2年生と相場は決まっている。
「うん。なんたって、部員は僕1人だからさ」
天文に興味のある生徒が少ない、というわけでなく、天文部の顧問が偏屈で有名な嫌われ者の先生であるため部員が逃げ出すのだ。笑顔で雅志は語る。
「でも、あんたよくその先生とうまくやってるわね」
「やってないよ。活動自体がね、僕1人じゃ何やってもしょうがないって先生が。だから僕は屋上の鍵は使い放題だし、活動してなくても部活点はもらえるしでお得なんだよ」
涼原さんもどうだい、天文部? などと、冗談丸だしの調子で言ってみせる。
「どうせあんた、部活点なんかどうだっていいくせに」
部活点というのは、大学進学の際、どこかの部活に加入していれば、有利な内申点をつけてもらえるということである。エスカレーター式に内部の大学へ進学するのならあまり影響はないが、外部の大学へ推薦入学を狙うならばうま味のある制度といえる。
しかしこの湖月雅志は、例の、受ける試験によって自分の実力を調整し、学年最高得点と最低点を取り分けるという謎の行動をとっている。推薦入試など狙わなくても入れる大学はいくらでもあるし、そも、大学進学にさえ興味があるのか怪しいところだ。
案の定、「まーねー。部活点はあってもなくても関係はないだろうね、僕には」と、あっさり前言を撤回してしまう雅志だった。
「涼原さんは、どっか部活に興味はないんだ?」
「まさか、あるようには見えないっしょ」
「う~ん・・・・・・正直、興味なさそうだね」
「それももちろんだし、家でやることがあるから放課後まで学校に関わっちゃいられないわ」
「ふ~ん・・・・・・涼原さんは、自分の家、好きな方なんだ? ちょっと意外・・・・・・」
何が意外なのか、とやり返そうとして、ふと、朝美は思いついていた。
「雅志、テストでいい加減な点数取ったりするの、何のためにやってるの。親は何も言ってこないの」
人のやることなすこと、とやかく言いたくはないのだが、親の出した授業料で私立の学校に通いながら、試験であえて手を抜いて低い点数を取ったり、かと思えば落第はしないようにと調整したりと、雅志の奇行は朝美にも愉快な気はしなかった。
「実を言うと、何か言ってくれないかなぁって期待して、やってることだったりするんだけどね」
いつかと同じ、顔も、声も、取り繕った通常通りを装えないらしい、どこか弱さを感じさせる調子で雅志は言う。
「昔、僕の家でちょっとした・・・・・・いや、大きな事件があったんだ。それ以来、僕が学校で良い成績取っても、以前程には父さん達も喜んでくれなくなったのが分かって。本当は僕も、中学は近所の公立で、高校は木庭高に進学しようと思ってたんだけど、それを目指して頑張るのも馬鹿らしくなってきちゃってさ」
朝美は学校での成績は悪い方ではないが、さして勉強が好きというわけではなかった。自分の家事労働なくして成り立たない家庭に生まれたこともあって、生きていくのに必要な学習と、学校で学ばされるそれが一致するようには思えなかったから。
それにしては予習や宿題を真面目に取り組むのは、ひとえに、教師はもちろん、クラスの友人にも、勉強のことで頼りたくはないからだった。自分でやればどうにかなることを、わざわざ人をあてにするなんて情けない。というのが朝美の信条だった。
本日の課題及び、自分への目標を終えて、朝美は伸びをしつつ机を離れる。こうして、自室にはイコール勉強、のイメージもあるから、朝美は余計に自分の部屋が嫌いだった。
いつもならこの後は入浴を済ませ、寝支度へ入ってしまう朝美だったが、今夜は気がかりもあって、廊下へ出て、庭の縁側まで歩みを進めた。
ああ、今夜はやっぱりダメか。見上げた空は、日中の曇り空の名残があって、星を窺うことは出来なかった。どんよりと重たい雲に塗りつぶされているかのよう。
未開の山奥じゃあるまいし、触れられそうに充たされた星空など、この木庭町で拝めるわけではない。けれど繁華街の明かりがあるわけでもないから、普段、星空らしきものは見えていたはずだ。ただ、朝美はそれに関心がなかったからすっかり覚えていなかったのだけど。
「天文部、ねぇ・・・・・・」
屋上の鍵が欲しいだけだとか、建前にも程があるとはいえ部活点だとか、雅志が天文部に入った理由としては、必ずしも星に寄らないものはいくらでもある。実際、あの奇怪な少年に、星空を愛でるような感傷的な趣味があるような気はあまり、しない。けれど。
暇さえあれば1人、屋上にこもり、学校生活というものに壁を築いている。
あの屋上は、湖月雅志の場所なのだろう。ならば、あえてあの場所を選んだことには、きっと理由があるはずだ。
ただ学校内でひきこもりをしたいだけならば、屋上よりも簡単な場所は、いくらでもありそうなものだから。・・・・・・それこそ、部員が1人しかいない天文部なら、部室を有効活用すればいい話である。
「あ・・・・・・」
ばつの悪そうな顔をして、とぼとぼと歩いてきたのは、今は涼原家で保護している家出少年。例によって、彼の目下の目的である、魔女の石探しに精を出していたのだろう。
「おかえり。お子様が出歩いていい時間じゃないわよ。おっかない人にさらわれたって誰も助けてやれないんだから、自分でちゃんと気をつけてよね」
「た、ただいま・・・・・・遅くなってごめんなさい」
「今日の成果は? てか、一体どこまで探しに行ったのよ」
「えーと・・・・・・電柱に、『三喜』とか書いてあったかなぁ」
かろうじて木庭町内ではあるが、数歩過ぎれば隣町に入ってしまいそうだ。などと考えて、はたと気がつく。
「あんたが探してるのって、町の東側ばっかじゃない? 西側・・・・・・あの橋を超えた先、行ったことある?」
木庭町の東は住宅街、西側は学校も商店街も駅もある、人の往来の激しい場所だ。捜し物をする、そのための情報収集には、むしろ西側を真っ先にあたるべきではないかと朝美は思う。
「な、なんか、あっちは何でか行きたくなくって」
「行きたくないからって避けてて、目的のものが見つかると思ってんの? 間が抜けてるわねぇ」
「う~・・・・・・」
ぐうの音も出ないらしい、少年は、目を瞑ってうめき声をあげる。追求する朝美から目を背けたいようで、やっぱり出来ない、彼のかろうじての抵抗なのだろう。
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イリサ「読んでくださりありがとうございました!」
「そういやあんたさ、この屋上の鍵、どうやって開け閉めしてるわけ?」
今更になってそんなことが気になったのは、6時限目の体育、朝美のクラスは屋上でドッジボールをすることになった。体育係は職員室へ鍵を借りに行き、授業が終われば返しに行く。屋上の鍵は特に厳重に管理されるため、無許可で、勝手に持ち出すのは困難であるはず。と、今更ながら思い至ったのだ。
「僕、天文部の部長なんだー。天文部は屋上で活動するから専用の鍵を持ってるんだよ」
「部長って、中学部の2年で? そんなことありえるの?」
この学校は中高一貫の私立学校であり、部長は高等部の2年生と相場は決まっている。
「うん。なんたって、部員は僕1人だからさ」
天文に興味のある生徒が少ない、というわけでなく、天文部の顧問が偏屈で有名な嫌われ者の先生であるため部員が逃げ出すのだ。笑顔で雅志は語る。
「でも、あんたよくその先生とうまくやってるわね」
「やってないよ。活動自体がね、僕1人じゃ何やってもしょうがないって先生が。だから僕は屋上の鍵は使い放題だし、活動してなくても部活点はもらえるしでお得なんだよ」
涼原さんもどうだい、天文部? などと、冗談丸だしの調子で言ってみせる。
「どうせあんた、部活点なんかどうだっていいくせに」
部活点というのは、大学進学の際、どこかの部活に加入していれば、有利な内申点をつけてもらえるということである。エスカレーター式に内部の大学へ進学するのならあまり影響はないが、外部の大学へ推薦入学を狙うならばうま味のある制度といえる。
しかしこの湖月雅志は、例の、受ける試験によって自分の実力を調整し、学年最高得点と最低点を取り分けるという謎の行動をとっている。推薦入試など狙わなくても入れる大学はいくらでもあるし、そも、大学進学にさえ興味があるのか怪しいところだ。
案の定、「まーねー。部活点はあってもなくても関係はないだろうね、僕には」と、あっさり前言を撤回してしまう雅志だった。
「涼原さんは、どっか部活に興味はないんだ?」
「まさか、あるようには見えないっしょ」
「う~ん・・・・・・正直、興味なさそうだね」
「それももちろんだし、家でやることがあるから放課後まで学校に関わっちゃいられないわ」
「ふ~ん・・・・・・涼原さんは、自分の家、好きな方なんだ? ちょっと意外・・・・・・」
何が意外なのか、とやり返そうとして、ふと、朝美は思いついていた。
「雅志、テストでいい加減な点数取ったりするの、何のためにやってるの。親は何も言ってこないの」
人のやることなすこと、とやかく言いたくはないのだが、親の出した授業料で私立の学校に通いながら、試験であえて手を抜いて低い点数を取ったり、かと思えば落第はしないようにと調整したりと、雅志の奇行は朝美にも愉快な気はしなかった。
「実を言うと、何か言ってくれないかなぁって期待して、やってることだったりするんだけどね」
いつかと同じ、顔も、声も、取り繕った通常通りを装えないらしい、どこか弱さを感じさせる調子で雅志は言う。
「昔、僕の家でちょっとした・・・・・・いや、大きな事件があったんだ。それ以来、僕が学校で良い成績取っても、以前程には父さん達も喜んでくれなくなったのが分かって。本当は僕も、中学は近所の公立で、高校は木庭高に進学しようと思ってたんだけど、それを目指して頑張るのも馬鹿らしくなってきちゃってさ」
朝美は学校での成績は悪い方ではないが、さして勉強が好きというわけではなかった。自分の家事労働なくして成り立たない家庭に生まれたこともあって、生きていくのに必要な学習と、学校で学ばされるそれが一致するようには思えなかったから。
それにしては予習や宿題を真面目に取り組むのは、ひとえに、教師はもちろん、クラスの友人にも、勉強のことで頼りたくはないからだった。自分でやればどうにかなることを、わざわざ人をあてにするなんて情けない。というのが朝美の信条だった。
本日の課題及び、自分への目標を終えて、朝美は伸びをしつつ机を離れる。こうして、自室にはイコール勉強、のイメージもあるから、朝美は余計に自分の部屋が嫌いだった。
いつもならこの後は入浴を済ませ、寝支度へ入ってしまう朝美だったが、今夜は気がかりもあって、廊下へ出て、庭の縁側まで歩みを進めた。
ああ、今夜はやっぱりダメか。見上げた空は、日中の曇り空の名残があって、星を窺うことは出来なかった。どんよりと重たい雲に塗りつぶされているかのよう。
未開の山奥じゃあるまいし、触れられそうに充たされた星空など、この木庭町で拝めるわけではない。けれど繁華街の明かりがあるわけでもないから、普段、星空らしきものは見えていたはずだ。ただ、朝美はそれに関心がなかったからすっかり覚えていなかったのだけど。
「天文部、ねぇ・・・・・・」
屋上の鍵が欲しいだけだとか、建前にも程があるとはいえ部活点だとか、雅志が天文部に入った理由としては、必ずしも星に寄らないものはいくらでもある。実際、あの奇怪な少年に、星空を愛でるような感傷的な趣味があるような気はあまり、しない。けれど。
暇さえあれば1人、屋上にこもり、学校生活というものに壁を築いている。
あの屋上は、湖月雅志の場所なのだろう。ならば、あえてあの場所を選んだことには、きっと理由があるはずだ。
ただ学校内でひきこもりをしたいだけならば、屋上よりも簡単な場所は、いくらでもありそうなものだから。・・・・・・それこそ、部員が1人しかいない天文部なら、部室を有効活用すればいい話である。
「あ・・・・・・」
ばつの悪そうな顔をして、とぼとぼと歩いてきたのは、今は涼原家で保護している家出少年。例によって、彼の目下の目的である、魔女の石探しに精を出していたのだろう。
「おかえり。お子様が出歩いていい時間じゃないわよ。おっかない人にさらわれたって誰も助けてやれないんだから、自分でちゃんと気をつけてよね」
「た、ただいま・・・・・・遅くなってごめんなさい」
「今日の成果は? てか、一体どこまで探しに行ったのよ」
「えーと・・・・・・電柱に、『三喜』とか書いてあったかなぁ」
かろうじて木庭町内ではあるが、数歩過ぎれば隣町に入ってしまいそうだ。などと考えて、はたと気がつく。
「あんたが探してるのって、町の東側ばっかじゃない? 西側・・・・・・あの橋を超えた先、行ったことある?」
木庭町の東は住宅街、西側は学校も商店街も駅もある、人の往来の激しい場所だ。捜し物をする、そのための情報収集には、むしろ西側を真っ先にあたるべきではないかと朝美は思う。
「な、なんか、あっちは何でか行きたくなくって」
「行きたくないからって避けてて、目的のものが見つかると思ってんの? 間が抜けてるわねぇ」
「う~・・・・・・」
ぐうの音も出ないらしい、少年は、目を瞑ってうめき声をあげる。追求する朝美から目を背けたいようで、やっぱり出来ない、彼のかろうじての抵抗なのだろう。
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