「あれ? この間のお嬢さんでしょっ」
学校帰りに寄った書店にて、馴れ馴れしく声をかけてきたのは若い店員だった。やわらかな流れをしたセミロングの茶髪に、人なつこい笑みを浮かべる瞳が見返してくる。ああ、何日か前に商店街で少しばかり話した・・・・・・。
「ティッシュ配りはもうやめたの?」
「まーねっ。もうじき寒い季節になるから、外に立ちっぱってのもきつそうでしょ?」
「その、ぷるぷる震えてる腕も、あたしから見るとじゅうぶん辛そうなんだけど」
少女は、ビニール紐で括られた雑誌を両手に下げていた。十数冊の分厚い雑誌束は、少女の腕には重たいのだろう。
「そうなのよ。本屋さんで働くってのがこう体力勝負だとは思わなかったわ」
ふるふると髪を揺らし、首を左右に振りながら嘆く少女に、もしかしたら次に会う時はまた転職でもしているかもしれない・・・・・・などと、朝美は見事、予知していた。
「ところでお嬢さん、うちの店で何かお探し?」
「あー・・・・・・ちょっと、今日知り合いが読んでた本の内容が気になって」
「なんて本? 言ってくれれば見つけて案内するけど」
本音を言えば、少々気になったくらいで、あの本を購入する気はなかったのだ。立ち読みのために寄った書店で顔見知りに遭遇するというのは居心地が悪いことこの上ない。
また今度、この子がいない時にでも寄ろう・・・・・・朝美はすごすごと店を後にするのだった。
屋上に入り浸る湖月雅志は、朝美が訪ねるといつでも、視線を落としていた書物から顔を上げて朝美に笑いかける。
朝美が、彼の読む本の内容に関心を持ったことはなかったが、今日だけは特別だった。
「絵本? 中学生ってまだ、そういうの読むもの?」
雅志の、ひょろっとした、子供らしい膝の上には大きすぎる絵本が広がっていた。
「読まないかもね。でも、この絵本は僕んちでは特別なんだ。なんたって僕ときょうだいの名前は、この絵本の主人公姉妹からつけられたんだから」
苦笑する雅志を横目に、「雅志」という明らかな男性名の由来が姉妹? などと余計なことを考える朝美だった。
「あんた、いつも熱心に本を読んでるわね。そんなに好きなわけ?」
学年トップの成績も、この趣味が高じてのことなのだろうか、と朝美は考えたのだが、
「僕は別に、本を読むのが好きなんじゃないよ。ただ僕の知ってる人に、本が好きで、いつでも真っ・・・・・・剣に本を読んでた人がいてさ・・・・・・」
「真剣」という言葉に溜めがえらく長かった。雅志の知り合いとやらは本当に、人並み以上には読書好きだったのだろうと朝美にも伝わってくる。
「あの人が読んでたのと同じのを読めば、・・・・・・読み解くことが出来たなら、あの人が何を感じていたのか、少しはわかるんじゃないかと思って」
少しだけ、寂しげに――常に、本心をごまかす笑みを浮かべているようにしていた雅志が初めて、感情をごまかしきれなかったかのように見えた。
きっかけは、屋上での雅志との会話。彼ときょうだいの名前の由来が絵本からとられたのだと聞いたからだった。
「そういやあたし、あんたの名前を聞いてなかったわよね」
台所、夕食の料理にかかっている朝美の手伝いとして、食器棚から皿や湯呑みを出していた少年を振り返って声をかけた。唐突な問いであると自覚はあったが、朝美も今の今まで忘れていたのだから仕方がない。
「え、その・・・・・・だってほら、おれも君の名前、聞いてなかったし」
「そりゃ悪かったわね。あたしの名は涼原朝美ってーのよ」
名字はともかく、名前ならば、父と朝美との会話で彼はしょっちゅう耳にしているだろうに。そうは思っても今回はたまたま気分を害することもなく、朝美はすらりとそう答えた。
少年は逡巡し、けれど結局は打ち明けることに決めた。
「ごめん、ごまかそうとして。魔女のゲームにはいくつかルールがあって、そのひとつに、おれが誰かに『名前を呼ばれない』こと、おれが誰かの『名前を呼ばない』っていうのがあるんだ・・・・・・」
「ったく、たかが石集めだってのに、面倒な女だわ。魔女ってやつは」
魔女の力を込めた、いくつかの石。この、木庭町にばらまかれたそれを全て集めると、ひとつだけ願いが叶う。少年がどのような経緯で、そのような怪しげな誘いにひっかかったのか、聞いてみたいような気がするし、それこそ面倒を避けるために聞くべきではないような気もすると朝美は思う。
「呼んじゃいけないってのは本名だけ? たとえば、あたしが勝手に考えた呼び名だったらどうなの」
「う~ん・・・・・・」
一応、それは魔女の決めたルールには含まれていない。そう言いながらも少年は考え込んで、うめきをあげる。
「もしかしたら、それもダメなのかもしれない・・・・・・」
なぜそう思うのか、と訊ねると、あらかじめまとめておいたことを彼は話す。
「前に言った、警察につかまったらゲームオーバーっていうのは、石集めのゲームのルールなんだ。けど、名前はそれとはちょっと違う。おれが彼女以外の名前を呼ばないことと、おれの名前を彼女以外の誰も呼ばないこと。魔女はそれを求めているんだって。その約束を破ったら、おれにかけた魔法を解いてしまうって」
「あんたにかけた魔法・・・・・・?」
少年は、願いを叶える石を集めたら、自分以外の誰かの願いを叶えても良いと朝美に言っていた。それは、少年はすでに、魔女から願いをひとつ叶えられたから、という。
どうせ、それが何かっていうのも答えられないんでしょうね。そうぼやいてみると、少年は神妙に頷いた。
ルールを破ったら、1度は与えられたものを取り上げられる。なんだかこんな話、どっかで聞いたような気がする。本だか、絵本だかに、そんな筋書きがあっただろうか。
「ま、決まりがあるならしょうがないわね・・・・・・」
どうせ、お互い名乗らなかったところで、今まで不便もなかったのだから。知ってたところで自分は今まで通り、あんた、あんたと呼びかけるのが癖になっていそうだし。朝美はそう納得することにした。
それにしても、と。魔女の言い分――少年の名前を呼ぶのは自分だけ。彼もまた然り――それはまるで独占欲求でもあるかのように聞こえて、朝美は胸にざわつきを覚えるのだった。
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イリサ「読んでくださりありがとうございました!」
学校帰りに寄った書店にて、馴れ馴れしく声をかけてきたのは若い店員だった。やわらかな流れをしたセミロングの茶髪に、人なつこい笑みを浮かべる瞳が見返してくる。ああ、何日か前に商店街で少しばかり話した・・・・・・。
「ティッシュ配りはもうやめたの?」
「まーねっ。もうじき寒い季節になるから、外に立ちっぱってのもきつそうでしょ?」
「その、ぷるぷる震えてる腕も、あたしから見るとじゅうぶん辛そうなんだけど」
少女は、ビニール紐で括られた雑誌を両手に下げていた。十数冊の分厚い雑誌束は、少女の腕には重たいのだろう。
「そうなのよ。本屋さんで働くってのがこう体力勝負だとは思わなかったわ」
ふるふると髪を揺らし、首を左右に振りながら嘆く少女に、もしかしたら次に会う時はまた転職でもしているかもしれない・・・・・・などと、朝美は見事、予知していた。
「ところでお嬢さん、うちの店で何かお探し?」
「あー・・・・・・ちょっと、今日知り合いが読んでた本の内容が気になって」
「なんて本? 言ってくれれば見つけて案内するけど」
本音を言えば、少々気になったくらいで、あの本を購入する気はなかったのだ。立ち読みのために寄った書店で顔見知りに遭遇するというのは居心地が悪いことこの上ない。
また今度、この子がいない時にでも寄ろう・・・・・・朝美はすごすごと店を後にするのだった。
屋上に入り浸る湖月雅志は、朝美が訪ねるといつでも、視線を落としていた書物から顔を上げて朝美に笑いかける。
朝美が、彼の読む本の内容に関心を持ったことはなかったが、今日だけは特別だった。
「絵本? 中学生ってまだ、そういうの読むもの?」
雅志の、ひょろっとした、子供らしい膝の上には大きすぎる絵本が広がっていた。
「読まないかもね。でも、この絵本は僕んちでは特別なんだ。なんたって僕ときょうだいの名前は、この絵本の主人公姉妹からつけられたんだから」
苦笑する雅志を横目に、「雅志」という明らかな男性名の由来が姉妹? などと余計なことを考える朝美だった。
「あんた、いつも熱心に本を読んでるわね。そんなに好きなわけ?」
学年トップの成績も、この趣味が高じてのことなのだろうか、と朝美は考えたのだが、
「僕は別に、本を読むのが好きなんじゃないよ。ただ僕の知ってる人に、本が好きで、いつでも真っ・・・・・・剣に本を読んでた人がいてさ・・・・・・」
「真剣」という言葉に溜めがえらく長かった。雅志の知り合いとやらは本当に、人並み以上には読書好きだったのだろうと朝美にも伝わってくる。
「あの人が読んでたのと同じのを読めば、・・・・・・読み解くことが出来たなら、あの人が何を感じていたのか、少しはわかるんじゃないかと思って」
少しだけ、寂しげに――常に、本心をごまかす笑みを浮かべているようにしていた雅志が初めて、感情をごまかしきれなかったかのように見えた。
きっかけは、屋上での雅志との会話。彼ときょうだいの名前の由来が絵本からとられたのだと聞いたからだった。
「そういやあたし、あんたの名前を聞いてなかったわよね」
台所、夕食の料理にかかっている朝美の手伝いとして、食器棚から皿や湯呑みを出していた少年を振り返って声をかけた。唐突な問いであると自覚はあったが、朝美も今の今まで忘れていたのだから仕方がない。
「え、その・・・・・・だってほら、おれも君の名前、聞いてなかったし」
「そりゃ悪かったわね。あたしの名は涼原朝美ってーのよ」
名字はともかく、名前ならば、父と朝美との会話で彼はしょっちゅう耳にしているだろうに。そうは思っても今回はたまたま気分を害することもなく、朝美はすらりとそう答えた。
少年は逡巡し、けれど結局は打ち明けることに決めた。
「ごめん、ごまかそうとして。魔女のゲームにはいくつかルールがあって、そのひとつに、おれが誰かに『名前を呼ばれない』こと、おれが誰かの『名前を呼ばない』っていうのがあるんだ・・・・・・」
「ったく、たかが石集めだってのに、面倒な女だわ。魔女ってやつは」
魔女の力を込めた、いくつかの石。この、木庭町にばらまかれたそれを全て集めると、ひとつだけ願いが叶う。少年がどのような経緯で、そのような怪しげな誘いにひっかかったのか、聞いてみたいような気がするし、それこそ面倒を避けるために聞くべきではないような気もすると朝美は思う。
「呼んじゃいけないってのは本名だけ? たとえば、あたしが勝手に考えた呼び名だったらどうなの」
「う~ん・・・・・・」
一応、それは魔女の決めたルールには含まれていない。そう言いながらも少年は考え込んで、うめきをあげる。
「もしかしたら、それもダメなのかもしれない・・・・・・」
なぜそう思うのか、と訊ねると、あらかじめまとめておいたことを彼は話す。
「前に言った、警察につかまったらゲームオーバーっていうのは、石集めのゲームのルールなんだ。けど、名前はそれとはちょっと違う。おれが彼女以外の名前を呼ばないことと、おれの名前を彼女以外の誰も呼ばないこと。魔女はそれを求めているんだって。その約束を破ったら、おれにかけた魔法を解いてしまうって」
「あんたにかけた魔法・・・・・・?」
少年は、願いを叶える石を集めたら、自分以外の誰かの願いを叶えても良いと朝美に言っていた。それは、少年はすでに、魔女から願いをひとつ叶えられたから、という。
どうせ、それが何かっていうのも答えられないんでしょうね。そうぼやいてみると、少年は神妙に頷いた。
ルールを破ったら、1度は与えられたものを取り上げられる。なんだかこんな話、どっかで聞いたような気がする。本だか、絵本だかに、そんな筋書きがあっただろうか。
「ま、決まりがあるならしょうがないわね・・・・・・」
どうせ、お互い名乗らなかったところで、今まで不便もなかったのだから。知ってたところで自分は今まで通り、あんた、あんたと呼びかけるのが癖になっていそうだし。朝美はそう納得することにした。
それにしても、と。魔女の言い分――少年の名前を呼ぶのは自分だけ。彼もまた然り――それはまるで独占欲求でもあるかのように聞こえて、朝美は胸にざわつきを覚えるのだった。
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イリサ「読んでくださりありがとうございました!」