
yard 第2話 「空の庭」
「せんせー、田中さんがまた、逃げだしましたぁ」
手を挙げて、間延びした調子でそう発言した女生徒に、クラス中の女子にくすくすとしのび笑いが起こる。その発生源は女子に限定されるが、彼女達は気がついているのだろうか。彼女達が必要以上に気にかけ、「田中さん」を責め立てる根拠とする、男子からの反応というものに。現に彼らは、調理実習の度に幾度と似たようなやり取りを繰り返されるのにすっかり呆れてしまっている。
しょうがないわねぇ、誰か探しにいってあげて頂戴、と、家庭科担当の教師が申しつけるのに、涼原朝美は真っ先に立ち上がった。確かに調理実習などかったるいもので、さぼりたくなる気持ちはわからないでもない――朝美と彼女、田中りょう子とではその理由が正反対であることはともかく――彼女を捜しに出ていくのは、2時間もある調理実習をサボる格好の理由になる。
大体、料理ひとつ作るのにいちいちグループ作りなどして2時間もかけるのがどうかしている。さらに言えば、ただでさえ日常の義務的に毎日の食事作りをしてきた朝美にしてみれば、料理なんて学校で教えずとも身に付くし、調理実習なんて付け焼き刃には何の意味もないではないか、と思う。
「おーい、あっさみー」
「なんだ、あんたも来ちゃったの」
調理室を出たはいいものの、真面目に探す気など湧かずやる気なく歩いていた廊下で、声をかけてきたのはクラスメイトの名吹栄一(なぶき えいいち)だった。
てか、授業中の廊下なんだから声を抑えろ、いくら理由があるからといって見咎められるのは面倒だと抗議すると、反省の見えないへらりとした笑みで悪い、とだけ答えた。栄一はいつもこういった性格だ。軽薄で、人に従うのを内心で嫌い、しかし本心はきれいにかぶせて隠し人当たりは悪くなく振る舞うことは出来る。それが、転校してきて1ヶ月、毎日のように話をしていて朝美の抱いた印象だった。
「だってめんどくさいじゃん、調理実習なんてさ。りょう子が嫌がるのもわかるよなぁ」
「だからって、堂々とさぼるってのも迷惑な話だけどね・・・・・・」
実のところ、田中りょう子の逃走先には見当がついているのだ。朝美にも、栄一にも。そしておそらくはクラスメイトの誰もが。彼女には他に、逃げ込める場所などない――あるとすれば、りょう子の所属する部活動の部室だろうが、そこは授業中には鍵がかかって開かないようになっている。
「んで、どーする? さくっと迎えに行ったら、俺らも調理実習戻る羽目になんぜ?」
「別にあたしは構わないけ、・・・・・・ど?」
話し合い、無意味に目線を空へ向けると、目に付いたものがあった。
屋上に、青いセーラー服の背中が見える。あれは男子生徒の制服だ――この学校でいくらでも散見される、おかしなことのひとつに、男子の制服までがセーラー服であることがよく取りざたされる。女子はスカートと襟の赤いセーラー服、男子は青いズボンと襟が青い。胸と背中を包む布は白いが、胸の真ん中とへその上あたりに、×印のような茶色いワッペンが縫いつけられている。
原色めいたどぎつい色の制服もそうだが、よりによって学生の制服に大きなバッテンをつけるなどどういった精神の者がデザインしたのやら。
「栄一。屋上って、授業中は閉鎖されてるはずよね」
「ああ。理科の実験か、体育で使われてなきゃあな。俺らの入学する前の年に、軟式テニスが廃部になってからあんまり使われてないとか聞いたぞ」
ちょうど廊下にいることだし、と、朝美は窓辺へ寄り校庭を見下ろす。そこでは体育の授業が行われている。当校では確か、体育の授業時間は全学年、クラスでかぶらないよう時間割が組まれているはずだ。
「なんだよ。屋上、誰もいないじゃん」
栄一の指摘にまた顔を上げると、彼の言うとおり、そこに人影は見えなかった。
「あんた、先にりょう子のとこへ行っといてよ。あたしも後で行くから。なんだったらあの子を連れて、先に調理室戻ってもいいけど」
「ふ~ん? まぁいいけど、戻るのは無理だろなぁ。あいつ、おまえの言うことしか聞かないじゃん」
そうなのだ。だからこそ、余計に面倒くさい。りょう子の事情はわかっているが、かと言って自分に懐かれ、また構ってちゃんじみた態度に付き合わされるのは冗談じゃない。
「わーったよ。りょう子と一緒に保健室で待ってっからさ」
待ってる、なんて言われてもまるで嬉しくない。どうせなら栄一だけでも調理室へ帰すべきだったか、朝美は自分の失策を悔いるのだった。
屋上への扉前は、階段の上にしてはそれなりに広い空間があり、スチールの物置が設置されている。試しに戸を引いてみると鍵がかかっていた。
物置にさえ鍵がかかっているというのに、手にかけた、屋上のドアはあっけなく開いた。
「やぁ、いらっしゃい」
あっけないのは、屋上にいた男子生徒の反応も然り。明るすぎず、暗すぎるでもない自然な茶髪は、おそらく地毛だろう。対する人物へ向ける、和やかな笑みは実にさわやかで、人好きのしそうなタイプだ。
男子生徒は屋上のフェンス、段差に腰を落ち着かせ、読書をしていたようだった。黒いハードカバーに金色で英字が刻まれている、いかにも専門書めいた本だ。中学生のお子様が読むようなものか? と朝美は疑問に思う。それだけ、何が書かれているのやら見当もつかない。
それにしても、彼の、いっそ優雅にさえ見えなくはない落ち着きはどうしたことだろうか。仮にも授業をさぼっているところを、同学年の生徒に見つかったというのに。
「いらっしゃい、って、お招きにあずかったかしら」
「いやぁ、もちろん、僕とっときの場所が人に見つかっちゃったっていうのは別に歓迎するわけじゃないけどね?」
回りくどい言い回しをしているが、要約すると、「迷惑だ」という解釈でいいのだろうか。さわやかかと思ったら、笑顔で毒を吐いてくれる。・・・・・・面白そうな奴じゃないの。朝美は好意的な意味で、内心、ほくそ笑んだ。いい子ちゃん、なんかより、こういう性格の方が朝美にとって、馴染みやすい。
「なかなか言ってくれるじゃない。お邪魔をして、ごめんなさいね。でもあんた、授業中に閉鎖されてるはずの屋上を自分の場所呼ばわりとか、出るとこ出ればただじゃ済まないんじゃない? 最悪、立ち退き命令か何か出たりしてね」
「だよねぇ。ここはひとつ、お近づきのしるしに、口を噤んでもらえないかなぁ。もちろんただでとは言わないからさ」
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イリサ「読んでくださりありがとうございました!」