庭の隅、今となっては手入れなどされていない荒れた花壇に刺さったままであった小さなシャベルを引っこ抜く。その側に佇むカエデの木は、もうじき紅葉の季節を迎える。
ああ、そういえば。ここへ石を埋めた時も、そんな季節だったと、朝美は思い出していた。
地面からは、黒い紐が生えるように覗く。いっそ開き直るように堂々としたその様子に、朝美は自分が惨めでならなかった。
持っているのは、辛くて。けれど失うのはもっと怖くて、こんな風に見失わないよう地面に埋めたのだ。他者の介入がない実家の庭だからこそ、石は持ち主である朝美を、あの日のまま待っていた。
こんな扱いをしておいて、今更掘り返すなんて。どこか石に申し訳ないような気持ちさえ抱くのは、後ろめたさによるものだろうか。
悪いけど、でも。あたしには願いの叶う石なんか必要ない。だって、願いなんか叶いやしないって、あんたにそんな力はないって、あたしは知っているもの。
あんたは、あの時のあたしの願い、叶えてなんかくれなかったから。
石が全体を見せるまで掘り進み、朝美は黒い紐を握りしめ、引き上げた。赤ん坊の手のひら大はある石だから、元よりそれなりの重量はあり、しかもいくらか湿った土をまといつかせたそれは重たく感じられた。まるで、数年という時を土の下に置き捨てられた怨念がこもってでもいるかのように、と、朝美は思う。
土いじりをしてすでに汚した手で、石を撫で、こびりついた土を払う。
それは赤い石だった。平べったいひし形の一角が金具で加工され、黒い紐をつけたネックレスになっている。鮮やかすぎる真紅ではなく、なめらかで明るい土色を含むような赤い色。透明な石ではないが、触れた指が吸い込まれそうな深みがある。
この石を手に入れたあの頃、特段、少女趣味ではなくクセサリー類に興味のない朝美だったが、この赤い石を手に入れた時は別だった。
幼い頃から感じていた、倦怠と焦燥。1人でいる時、赤い石を手に乗せてただ眺めてみると、日々、心にぷつぷと小さく開いた空洞が、やわらかな何かに埋められるような気がした。・・・・・・自身の抱える、見通しの立たない願望も、諦めずに追い求めればいつかはたどり着ける。そんな希望を湧きたたせてくれるような気がした、不思議な石だ。
なるほど、「魔女のおみくじ石」などという奇怪な売り文句も伊達ではないと思わされた。
朝美が赤い石を手放したのは、そうした石に対する愛着が幻想であったと思い知らされたことに起因する。石の内から感じていた、正体の見えない、不思議と強い力。それに伴って抱いていた愛着が幻想であったと、思い知らされたあの秋の日。
少年の探しているという石と、かつてここに埋めた朝美の石。それが同じものだという確信はないが、少なくとも、少年の持っていたガラス製のレプリカと、この赤い石はほぼ同じ大きさで、同じひし形をしていた。だから、と。
「ほら。これがあんたの探しているものだっていうなら、あげる」
もしこれが少年の探している石だとしても、そうでもないものだとしても。このままここに眠らせておくなら、いっそ誰かの手に譲ってしまえば、いっそ清々しいのではないかと朝美は思った。
そんな、朝美の気持ちとは裏腹に。
「受け取れないよ」
少年は目を伏せた。期せずして、朝美もほぼ同時に息をつく。
「何でよ。あたしがいらないって言うんだから別にいいでしょうが」
「だって、大事な石だから」
話の噛み合わない奴だ。せっかく人がいいと言っているのに。苛立ちは、続く少年の言い分にかき消された。
「どうでもいいものなら、ここに埋めたりしない。ここは、君にとって大切な場所なんだから・・・・・・わかるよ」
君がこの庭にいた姿を見たら、わかる。少年は繰り返す。その言葉に、朝美の中にこみ上げてくる感情。泣き出したくなるような切なさを、朝美は飲み込んだ。
赤い庭は彼女だけの場所だった。大好きな父も、夕日の中のこの庭にあって、朝美の姿を目にしない。だから、朝美は安心して、むき出しの自分と向き合うことが出来た。父によけいな心配をかけたくないからと、普段彼女が被っている殻をそっと外して。自室でそれが出来ないのは、空っぽで面白味のない自分という存在を表しすぎていてそれがつらかったからだ。
けれど、心のどこかで、そんな自分に気がついてほしいという願いも同時に、朝美は抱えていた。矛盾していると思いながらそれを抱かずにいられない自分の弱さが、朝美に自身を嫌悪させる素になっていた。
そんな自分を、少年は見つけてくれた。
「そうだとしても・・・・・・いいの。大切なものっていうのは、ただ持ってるだけでいい時と、そう思わない時があるんだから。今はあたし、これをあんたに有効活用してもらいたいって、そういう気分なのよ」
「・・・・・・そうなの?」
「そうよ」
石を眺めていると感じられる、穏やかな気持ち。また、この石にはあの頃叶わなかった願いがこめられている。
自分で持っていても、もはやそれらの気持ちを取り戻すことは出来ない。魔女が願いを叶えるうんぬんはどうでもいいとしても、彼がこの石を使ってくれるなら、今度こそ、朝美の思いは報われるような。そんな気がしたのだ。
この数日、彼と出会い、彼といる時に感じた小さな喜びと癒しは、まさにこの赤い石を見た時の感情によく似ていたから。
ついに、少年は意を決し、朝美を見上げた。その目は頼りになるような、あるいは
「わかった、よ。この赤い石は僕が使う。大切に、使うから」
たどたどしく、少年は言葉を接ぐ。
「・・・・・・ありがとう」
「・・・・・・ま、せいぜいがんばってちょうだいよ」
あといくつあるのだか知らないが、全て集めたら願いが叶うという、魔女の石。
いつか少年が何を願うのか、その行く末が、単純に朝美は楽しみだった。
こんな風に、未来に対して期待を覚えたのは、彼女にとって本当に久しぶりのことだった。
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イリサ「読んでくださりありがとうございました!」
ああ、そういえば。ここへ石を埋めた時も、そんな季節だったと、朝美は思い出していた。
地面からは、黒い紐が生えるように覗く。いっそ開き直るように堂々としたその様子に、朝美は自分が惨めでならなかった。
持っているのは、辛くて。けれど失うのはもっと怖くて、こんな風に見失わないよう地面に埋めたのだ。他者の介入がない実家の庭だからこそ、石は持ち主である朝美を、あの日のまま待っていた。
こんな扱いをしておいて、今更掘り返すなんて。どこか石に申し訳ないような気持ちさえ抱くのは、後ろめたさによるものだろうか。
悪いけど、でも。あたしには願いの叶う石なんか必要ない。だって、願いなんか叶いやしないって、あんたにそんな力はないって、あたしは知っているもの。
あんたは、あの時のあたしの願い、叶えてなんかくれなかったから。
石が全体を見せるまで掘り進み、朝美は黒い紐を握りしめ、引き上げた。赤ん坊の手のひら大はある石だから、元よりそれなりの重量はあり、しかもいくらか湿った土をまといつかせたそれは重たく感じられた。まるで、数年という時を土の下に置き捨てられた怨念がこもってでもいるかのように、と、朝美は思う。
土いじりをしてすでに汚した手で、石を撫で、こびりついた土を払う。
それは赤い石だった。平べったいひし形の一角が金具で加工され、黒い紐をつけたネックレスになっている。鮮やかすぎる真紅ではなく、なめらかで明るい土色を含むような赤い色。透明な石ではないが、触れた指が吸い込まれそうな深みがある。
この石を手に入れたあの頃、特段、少女趣味ではなくクセサリー類に興味のない朝美だったが、この赤い石を手に入れた時は別だった。
幼い頃から感じていた、倦怠と焦燥。1人でいる時、赤い石を手に乗せてただ眺めてみると、日々、心にぷつぷと小さく開いた空洞が、やわらかな何かに埋められるような気がした。・・・・・・自身の抱える、見通しの立たない願望も、諦めずに追い求めればいつかはたどり着ける。そんな希望を湧きたたせてくれるような気がした、不思議な石だ。
なるほど、「魔女のおみくじ石」などという奇怪な売り文句も伊達ではないと思わされた。
朝美が赤い石を手放したのは、そうした石に対する愛着が幻想であったと思い知らされたことに起因する。石の内から感じていた、正体の見えない、不思議と強い力。それに伴って抱いていた愛着が幻想であったと、思い知らされたあの秋の日。
少年の探しているという石と、かつてここに埋めた朝美の石。それが同じものだという確信はないが、少なくとも、少年の持っていたガラス製のレプリカと、この赤い石はほぼ同じ大きさで、同じひし形をしていた。だから、と。
「ほら。これがあんたの探しているものだっていうなら、あげる」
もしこれが少年の探している石だとしても、そうでもないものだとしても。このままここに眠らせておくなら、いっそ誰かの手に譲ってしまえば、いっそ清々しいのではないかと朝美は思った。
そんな、朝美の気持ちとは裏腹に。
「受け取れないよ」
少年は目を伏せた。期せずして、朝美もほぼ同時に息をつく。
「何でよ。あたしがいらないって言うんだから別にいいでしょうが」
「だって、大事な石だから」
話の噛み合わない奴だ。せっかく人がいいと言っているのに。苛立ちは、続く少年の言い分にかき消された。
「どうでもいいものなら、ここに埋めたりしない。ここは、君にとって大切な場所なんだから・・・・・・わかるよ」
君がこの庭にいた姿を見たら、わかる。少年は繰り返す。その言葉に、朝美の中にこみ上げてくる感情。泣き出したくなるような切なさを、朝美は飲み込んだ。
赤い庭は彼女だけの場所だった。大好きな父も、夕日の中のこの庭にあって、朝美の姿を目にしない。だから、朝美は安心して、むき出しの自分と向き合うことが出来た。父によけいな心配をかけたくないからと、普段彼女が被っている殻をそっと外して。自室でそれが出来ないのは、空っぽで面白味のない自分という存在を表しすぎていてそれがつらかったからだ。
けれど、心のどこかで、そんな自分に気がついてほしいという願いも同時に、朝美は抱えていた。矛盾していると思いながらそれを抱かずにいられない自分の弱さが、朝美に自身を嫌悪させる素になっていた。
そんな自分を、少年は見つけてくれた。
「そうだとしても・・・・・・いいの。大切なものっていうのは、ただ持ってるだけでいい時と、そう思わない時があるんだから。今はあたし、これをあんたに有効活用してもらいたいって、そういう気分なのよ」
「・・・・・・そうなの?」
「そうよ」
石を眺めていると感じられる、穏やかな気持ち。また、この石にはあの頃叶わなかった願いがこめられている。
自分で持っていても、もはやそれらの気持ちを取り戻すことは出来ない。魔女が願いを叶えるうんぬんはどうでもいいとしても、彼がこの石を使ってくれるなら、今度こそ、朝美の思いは報われるような。そんな気がしたのだ。
この数日、彼と出会い、彼といる時に感じた小さな喜びと癒しは、まさにこの赤い石を見た時の感情によく似ていたから。
ついに、少年は意を決し、朝美を見上げた。その目は頼りになるような、あるいは
「わかった、よ。この赤い石は僕が使う。大切に、使うから」
たどたどしく、少年は言葉を接ぐ。
「・・・・・・ありがとう」
「・・・・・・ま、せいぜいがんばってちょうだいよ」
あといくつあるのだか知らないが、全て集めたら願いが叶うという、魔女の石。
いつか少年が何を願うのか、その行く末が、単純に朝美は楽しみだった。
こんな風に、未来に対して期待を覚えたのは、彼女にとって本当に久しぶりのことだった。
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イリサ「読んでくださりありがとうございました!」