朝美が居間へ入ると、少年はテレビのほとんど目前に陣取って、放送されているドラマを食い入るように凝視している。そんなに近くで見たら目を悪くする、と注意してやりたいところだが、それどころではない。少年をひっぺがし、テレビの電源を切る。少年の抗議を無視すべく、先手を打つ。
「あんた、あたしのお父さんに何をしたのよ」
「何って? あ、おじさんが、保護者の連絡先を教えてっていうから、電話番号渡したけど」
「・・・・・・それって、本当に親元の?」
父は電話をかけた先から、少年を帰さなくてよいと、辛辣なことを言われたという。これが事実、親の言葉だというなら、朝美とて不憫に思わないではない。だが、
「え、えっと・・・・・・保護者、っていうのは間違ってないんだけど、自分ちの電話番号じゃなくって」
などと、ばつの悪そうな少年に、朝美は一気に疑念を深める。
「親じゃないぃ? 人騒がせなことしてんじゃないわよ。だったら、誰だっていうの」
自分よりほんの少し背の低い、少年の上目遣いを受け止める。その目線には、ユーモアなどかけらも感じさせず、いたって真剣で、
「『魔女』だよ」
少年がさらりと言い放った、馬鹿げたキーワードを、一笑に伏すタイミングを逸してしまった。
「あれは、魔女に渡された電話番号なんだ。もし誰かに聞かれたらこれを見せろって」
「何の・・・・・・話をしているのよ。馬鹿にしてるんじゃないでしょうね」
馬鹿にされているのなら、まだマシだと思う。少年が心底、思考をおかしくしているとか、そういう可能性よりはよっぽど。けれどそのどちらでもないことを、朝美も予感しないではなかった。
「う~・・・・・・どう言ったらいいかなぁ」
まゆねを寄せて考え込み、しかしまっすぐ朝美を見つめ目を反らさない。それは単純に、少年の長年の癖だったのだが、朝美には少年が嘘をついていないという確信を抱かせた。
「・・・・・・わかったわよ。もう嘘だなんて思わないから、本当のことを言ってみなさい。あ、ここじゃなくて、あたしの部屋でいいわ」
朝美の部屋はベッド、勉強机、教科書くらいしか入っていない本棚と、シンプルに過ぎてとても女子中学生らしいそれはない。それなりに年季の入った木造住宅とはいえ、フローリングの床だけでなく壁面も天井面も板張りで全面が茶色の6畳半。その広ささえ持て余しているような気がして、朝美は自分の部屋をあまり居心地の良い場所とは感じていなかった。
そういえば、この部屋に人を呼んだことなどしばらくぶりで、客用の座布団ひとつ置いていない。朝美は勉強机に備えた椅子を少年に勧め、自分は立ったまま話を進めることにした。
「で、魔女って何なの」
「おれがこの町に戻ったのは、魔女のいうゲームをするためなんだ。ルールはいくつかあって、警察に捕まったらいけないっていうのがそのひとつ。もし、親とか警察に電話されそうになったら魔女の電話番号を見せてそこにかけてもらうようにすれば、彼女がうまくごまかしてくれるっていう約束になってて」
まるでテレビゲームのアイテムのようだ、と、朝美は思った。魔女に渡されたアイテム、それを使った効果として、父はああいう状態になったわけだ。何をされたのだかわからないのはもどかしいが、父の思考に深刻な異常がないことを朝美は祈った。
「ゲームっていうからには、何か目的があるんでしょ」
「うん」
頷き、少年は自らの上着をめくり上げた。そこには茶色い、ニット製のショルダーポーチがぶら下がっているーー兎を模したマフラーといい、少年の出で立ちが妙に少女趣味なのは、魔女とやらのせいなのだろうかと朝美は漠然と思うが、少年がポーチから取り出したものに。
「これ」
平べったい、ひし形の、青い石。ペンダントになっているそれの紐をぶらりとぶら下げ、少年は朝美へ渡そうとする。しかし朝美は呆気にとられ、それを受け取ることが出来なかった。少年が首を傾げたのを見て我に返り、内心の動揺を隠して手に取った。
「この町のあちこちに、これと同じ形をした石がいくつかあるんだって。色はみんな違うけど。これを全部集めたら、ひとつだけ願いを叶えることが出来るんだ」
これと同じ、ひし形の石。この町にいくつかある。なるほど、その部分に間違いのないことは、朝美も知っていた。
何せ、かつて自分もそれを持っていたのだから。そして少年が川を眺めて、そこに探しているものがあると言ったわけも合点がいった。
で、ありながら、朝美はあえてこう言ってみることにした。
「願いを叶える石とか、あんた騙されてるんじゃないの? あんたの持ってるこれ、石なんかじゃなくてただのガラスじゃない」
危うく取り乱しかけたものの、冷静に、渡された物を観察していて気がついた。少年のペンダントのひし形は、表を見ると透き通った青で、裏返すとそこにはトンボ玉の模様があった。つまりこれはガラスを加工したもので、とりあえず石ではない。かつて朝美が持っていたものとは違って。
「これは本物じゃなくてレプリカだよ。同じ形をしているから見本にして探すといいって」
「あっそ。それで、これを集めて、あんたの叶えたい願いって何よ」
本来、こういった立ち入ったことを聞くのは朝美の主義ではない。だが、・・・・・・彼女の知っている、石の在処。これを彼に教えてやるか、その如何を、少年の志がどれほどのものなのかで判断することにした。
何せ、あの石は朝美にとって忌まわしい思い出の象徴であって、だからこそ自分の目に付かない場所へ隠したのだ。少年には気の毒だが、今になってそれを掘り起こそうというのならそれなりの気持ちというものが感じられなければ、協力してやるわけにもいかなかった。
少年は、う~ん、とひとこと、うめいた。しかしそれは反射的な反応であって、別に問われたことに対する答えに悩んだわけではない。ずっと心に決めていたかのように、するり、少年は抵抗なくこう告げた。
「もし石を全部集めたら、君の願い事を叶えてあげようか」
「わけわかんない。あんた、何か叶えたいことがあって、だから魔女のゲームとやらに乗っかったんじゃないわけ」
「実は、願い事ならもう、ひとつ叶えてもらったんだ。石を集めてもう1度、何か叶えてもらうかどうしようかって思ったんだけど・・・・・・誰かの願いを叶えることで、おれにも叶う願いごとがあるんだ。だったらそれもいいかもしれないと思ってさ」
「ふぅん。つまりその『誰か』ってのは本当に誰でもよくって、たまたまあたしとこの話をしたからその流れで言ってみたと、そういうこと」
そう言われるとなんか人聞きが悪いような。そう少年はつぶやく、朝美も、少年にそう思わせることを意図してあえてそう言ったので、内心で小さくほくそ笑んだ。それは何も意地悪ごころからそうしたわけではなく、彼女自身、甦らせてしまった心の傷みをごまかすために。
「結構よ。あたしには、魔女なんてうさんくさいものに頼らなきゃなんないような願いなんて、ないんだから」
いつもの調子で、突き放そうとした。けれど、どことなく、そうしてやろうという気が失せているのはどうしたわけだろう。
「・・・・・・ま、気持ちだけはちょっとくらい、ありがたいと思ってあげてもいいけどね」
無意識にそう呟いて、あまりに自分らしくない発言に思考が灼かれる。
「どうしたの? なんか、いきなり顔が赤くなってるよ」
「なんでもないっての。ほら、そろそろお父さんがお腹空かせてそうだから、とっとと夕飯にするわよ」
かくいう、朝美だってそろそろお腹は空いているのだ。もう7時をまわってしまっているのだから。
さすり、少年がどこか寂しげに自らの腹を撫でたのを、すでに彼へ背を向けていた朝美は気がつかなかった。
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イリサ「読んでくださりありがとうございました!」
「あんた、あたしのお父さんに何をしたのよ」
「何って? あ、おじさんが、保護者の連絡先を教えてっていうから、電話番号渡したけど」
「・・・・・・それって、本当に親元の?」
父は電話をかけた先から、少年を帰さなくてよいと、辛辣なことを言われたという。これが事実、親の言葉だというなら、朝美とて不憫に思わないではない。だが、
「え、えっと・・・・・・保護者、っていうのは間違ってないんだけど、自分ちの電話番号じゃなくって」
などと、ばつの悪そうな少年に、朝美は一気に疑念を深める。
「親じゃないぃ? 人騒がせなことしてんじゃないわよ。だったら、誰だっていうの」
自分よりほんの少し背の低い、少年の上目遣いを受け止める。その目線には、ユーモアなどかけらも感じさせず、いたって真剣で、
「『魔女』だよ」
少年がさらりと言い放った、馬鹿げたキーワードを、一笑に伏すタイミングを逸してしまった。
「あれは、魔女に渡された電話番号なんだ。もし誰かに聞かれたらこれを見せろって」
「何の・・・・・・話をしているのよ。馬鹿にしてるんじゃないでしょうね」
馬鹿にされているのなら、まだマシだと思う。少年が心底、思考をおかしくしているとか、そういう可能性よりはよっぽど。けれどそのどちらでもないことを、朝美も予感しないではなかった。
「う~・・・・・・どう言ったらいいかなぁ」
まゆねを寄せて考え込み、しかしまっすぐ朝美を見つめ目を反らさない。それは単純に、少年の長年の癖だったのだが、朝美には少年が嘘をついていないという確信を抱かせた。
「・・・・・・わかったわよ。もう嘘だなんて思わないから、本当のことを言ってみなさい。あ、ここじゃなくて、あたしの部屋でいいわ」
朝美の部屋はベッド、勉強机、教科書くらいしか入っていない本棚と、シンプルに過ぎてとても女子中学生らしいそれはない。それなりに年季の入った木造住宅とはいえ、フローリングの床だけでなく壁面も天井面も板張りで全面が茶色の6畳半。その広ささえ持て余しているような気がして、朝美は自分の部屋をあまり居心地の良い場所とは感じていなかった。
そういえば、この部屋に人を呼んだことなどしばらくぶりで、客用の座布団ひとつ置いていない。朝美は勉強机に備えた椅子を少年に勧め、自分は立ったまま話を進めることにした。
「で、魔女って何なの」
「おれがこの町に戻ったのは、魔女のいうゲームをするためなんだ。ルールはいくつかあって、警察に捕まったらいけないっていうのがそのひとつ。もし、親とか警察に電話されそうになったら魔女の電話番号を見せてそこにかけてもらうようにすれば、彼女がうまくごまかしてくれるっていう約束になってて」
まるでテレビゲームのアイテムのようだ、と、朝美は思った。魔女に渡されたアイテム、それを使った効果として、父はああいう状態になったわけだ。何をされたのだかわからないのはもどかしいが、父の思考に深刻な異常がないことを朝美は祈った。
「ゲームっていうからには、何か目的があるんでしょ」
「うん」
頷き、少年は自らの上着をめくり上げた。そこには茶色い、ニット製のショルダーポーチがぶら下がっているーー兎を模したマフラーといい、少年の出で立ちが妙に少女趣味なのは、魔女とやらのせいなのだろうかと朝美は漠然と思うが、少年がポーチから取り出したものに。
「これ」
平べったい、ひし形の、青い石。ペンダントになっているそれの紐をぶらりとぶら下げ、少年は朝美へ渡そうとする。しかし朝美は呆気にとられ、それを受け取ることが出来なかった。少年が首を傾げたのを見て我に返り、内心の動揺を隠して手に取った。
「この町のあちこちに、これと同じ形をした石がいくつかあるんだって。色はみんな違うけど。これを全部集めたら、ひとつだけ願いを叶えることが出来るんだ」
これと同じ、ひし形の石。この町にいくつかある。なるほど、その部分に間違いのないことは、朝美も知っていた。
何せ、かつて自分もそれを持っていたのだから。そして少年が川を眺めて、そこに探しているものがあると言ったわけも合点がいった。
で、ありながら、朝美はあえてこう言ってみることにした。
「願いを叶える石とか、あんた騙されてるんじゃないの? あんたの持ってるこれ、石なんかじゃなくてただのガラスじゃない」
危うく取り乱しかけたものの、冷静に、渡された物を観察していて気がついた。少年のペンダントのひし形は、表を見ると透き通った青で、裏返すとそこにはトンボ玉の模様があった。つまりこれはガラスを加工したもので、とりあえず石ではない。かつて朝美が持っていたものとは違って。
「これは本物じゃなくてレプリカだよ。同じ形をしているから見本にして探すといいって」
「あっそ。それで、これを集めて、あんたの叶えたい願いって何よ」
本来、こういった立ち入ったことを聞くのは朝美の主義ではない。だが、・・・・・・彼女の知っている、石の在処。これを彼に教えてやるか、その如何を、少年の志がどれほどのものなのかで判断することにした。
何せ、あの石は朝美にとって忌まわしい思い出の象徴であって、だからこそ自分の目に付かない場所へ隠したのだ。少年には気の毒だが、今になってそれを掘り起こそうというのならそれなりの気持ちというものが感じられなければ、協力してやるわけにもいかなかった。
少年は、う~ん、とひとこと、うめいた。しかしそれは反射的な反応であって、別に問われたことに対する答えに悩んだわけではない。ずっと心に決めていたかのように、するり、少年は抵抗なくこう告げた。
「もし石を全部集めたら、君の願い事を叶えてあげようか」
「わけわかんない。あんた、何か叶えたいことがあって、だから魔女のゲームとやらに乗っかったんじゃないわけ」
「実は、願い事ならもう、ひとつ叶えてもらったんだ。石を集めてもう1度、何か叶えてもらうかどうしようかって思ったんだけど・・・・・・誰かの願いを叶えることで、おれにも叶う願いごとがあるんだ。だったらそれもいいかもしれないと思ってさ」
「ふぅん。つまりその『誰か』ってのは本当に誰でもよくって、たまたまあたしとこの話をしたからその流れで言ってみたと、そういうこと」
そう言われるとなんか人聞きが悪いような。そう少年はつぶやく、朝美も、少年にそう思わせることを意図してあえてそう言ったので、内心で小さくほくそ笑んだ。それは何も意地悪ごころからそうしたわけではなく、彼女自身、甦らせてしまった心の傷みをごまかすために。
「結構よ。あたしには、魔女なんてうさんくさいものに頼らなきゃなんないような願いなんて、ないんだから」
いつもの調子で、突き放そうとした。けれど、どことなく、そうしてやろうという気が失せているのはどうしたわけだろう。
「・・・・・・ま、気持ちだけはちょっとくらい、ありがたいと思ってあげてもいいけどね」
無意識にそう呟いて、あまりに自分らしくない発言に思考が灼かれる。
「どうしたの? なんか、いきなり顔が赤くなってるよ」
「なんでもないっての。ほら、そろそろお父さんがお腹空かせてそうだから、とっとと夕飯にするわよ」
かくいう、朝美だってそろそろお腹は空いているのだ。もう7時をまわってしまっているのだから。
さすり、少年がどこか寂しげに自らの腹を撫でたのを、すでに彼へ背を向けていた朝美は気がつかなかった。
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イリサ「読んでくださりありがとうございました!」