ふてくされるような態度ではあったが、少年は大人しく朝美についてきた。そんな様子にやれやれと思いつつ、いくら彼に対して好印象だったとはいえ、面倒なことになってきたものだと朝美は思った。
先ほど下りてきた階段を上がり、そのまま土手の道を行く。この期に及んで少年は、未だに未練がましく川へとちらちら視線を向けている。よそ見をしていたせいで、通りがかった自転車にうかつにもひかれそうになっていた。
「こらっ。すみません、おじゃまして。ほらあんたも謝る!」
運転手の女性は気にしていない、と笑うが、少年は呆けたような間抜け面で女性を見上げている。何事か考えごとをしているらしい間の後、慌てふためき、
「ご、・・・・・・『ごめん、なさい』」
謝った。それはいいが、肩をこわばらせ、緊張しているように見えるのは朝美にも女性にもわかって、かえって女性は首を傾げていた。
「何もなかったんだし、これから気をつけてくれればいいのよ。それじゃあね」
少年と、ついでに朝美へもウインクなどよこして、女性は自転車にまたがり去っていった。2人揃って、別のことに気をとられて、ぼんやりと彼女を見送る。正気に返ったのは朝美が先だった。
「なんなの、あのオーバーリアクション」
少年と出会ってからというもの、こんなことばかり言っているような気がする。それだけ彼には奇異な行動が多かった。
「あ、あのさ・・・・・・。言わなきゃいけない時にちゃんと言葉が出てくるって、いいものだなって思って」
もじもじ、へその前で指をいじって、頬を染めてさえいる。言いそびれそうになったくせに、とちらりと思うが、少年が本当にうれしそうにするものだからつい口を噤んでしまった。
「見えた。あれがあたしの家よ」
「家? ・・・・・・っていうより、会社みたいに見えるよ?」
涼原の家の家が見えた時点でそこを指さして示したものの、どうやら誤解を招いたようだ。この距離では彼女の自宅の1階は、土手との高低差によって見ることはかなわないのだ。
「悪かったわね、おかしな形した家で。ほら、もう見えるでしょ。1階はあたしと父さんが住んでる家で、2階は父さんの会社の作業場になってんの」
彼女が、そして涼原の家の外観を見た者が決まったように「変わっている」という点は、屋根の上にもうひとつ建物が乗っているかのようなその構造だった。1階は、瓦屋根に縁側というシンプルな和風宅であり、その上に長方形のコンクリートの小屋が建っている。正しくは、1階の天井は平らになっていてその上に作業場が建ち、瓦屋根は1階と2階の中間から生えて縁側を雨から守っているのだが。2階への出入りは、1階の玄関とは正反対の位置に備えた階段からになっていて、普段、朝美は父の従業員達とは顔を合わせずに済んでいる。
が、本日はいささか事情が異なっていた。朝美は学級会で帰りが遅くなり、父の工場の就業時間である18時をまわっていた。2階の玄関からぞろぞろと連なり出てくる従業員の何人かが、土手の道に立つ朝美と少年を一瞥した。何となく胸のすかない思いになった朝美に、無邪気に声を投げるのは。
「おおーい、朝美!」
従業員を見送りに出てきて、娘に気がついた父、涼原裕二だった。朝美は疲労を覚えてはいたものの、父の笑顔に応えるため、少々無理もおして笑みを浮かべてみせる。
「ほら、いくわよ。あの人があたしのお父さん・・・・・・」
もとより、家出少年への対応を父に相談するため自宅へ呼んだのだ。少年を促そうと振り返った、そうして目に入った彼の様子に、またこれか、と、朝美は息を吐く。
「今度は何?」
少年はぼんやり、涼原の家の庭を見下ろしていた。それはまるで、先ほどまで――そして彼と出会った連日、少年がいつもそうしていたように――見えない川底を眺めていた目と同じだった。
少年は、少しとまどうように、朝美を見上げて伝える。
「この家から、あの川と同じ感じがするんだ。おれの探しているものが、どこかにあるような」
「探しているものぉ? あの川と、同じ・・・・・・」
呆れ混じりに、彼の言葉を繰り返したところで、朝美は引っかかりを感じた。あの川と、この家とにある、同じもの。
まさか、ね・・・・・・。覚えはあった。それも、彼女にとっては忌まわしい、あの出来事。それは確かにふたつの場所の共通点ではあったが、少年の探しているものと結びつけるにはあまり現実的ではないため、朝美はこれ以上考えないことにした。
少年を連れて玄関口へ回ると、2階から父が降りて帰宅したのとタイミングが重なった。
「おかえり朝美。いつもより遅かったんだな」
「ただいま、お父さん。学校で居残りがあったから」
「そうかぁ。そんなら今日は、夕食は父さんが作ろうか」
「いいよ。手伝ってくれるなら、お風呂とかお願いしてもいい?」
「そうか? そんならそうしようか」
「うん。ありがとう」
話の決着がついたところで、裕二は朝美の頭を、厚い手のひらでくしゃくしゃと撫でた。彼女の、自然のままにしていても整った、セミロングのストレートヘアーが乱れる。朝美は気にしないし、こうした父の癖が好きだった。父に限っていえば、頭を撫でられるのは純粋に気持ちよい。
「ところで、その小さい子は? 朝美の友達か? もう時間も遅いのに」
「友達じゃないわ。拾ったの、家出少年よ」
「へえ・・・・・・」
厳しい目で父を見上げ、訴えると、裕二は納得して頷いた。しかし、少年と向き合うにあたってその腹を顔に出さない。朝美にとっては馴染みのある、頼れる父の笑みを向けると、少年は恥入るようにしながら、
「こ、こんばんわ」
と、挨拶した。朝美は先ほどのことを思い出す。言うべき時に、言わなきゃいけない言葉を、か・・・・・・。
「こんばんわ。とりあえず上がってって、うちの自慢の娘の晩飯、食ってくか? そろそろ腹へってくるだろう。俺ぁもうぺこぺこでさー」
少年の相手を父に任せ、朝美は先に家へ上がった。両手にぶら下げた食材を、早く台所で処理しなければ。背後で少年の、お腹なら空かないよ、などと話しているのが聞こえた。
自慢の娘の晩飯、「自慢の」というのがどちらにかかっているのだか知らないが、朝美は自分がさして料理が得意だとは思っていない。何故なら、父は朝美が作ったものなら文句など言わず喜んで口にするため、味の良し悪しに対する指標がない。そして彼女自身、料理に際し量りなど使わず目分量で済ませてしまうため、作ったものの出来は毎回差があった。
「まずったなぁ・・・・・・」
出来上がったカレーは、分量を間違えたらしく、ルーがまるで液体のようになってしまった。これではまるで、カレーライスではなくカレーうどんになってしまう。いっそそうしてしまった方がいいだろうか、思い、朝美が冷蔵庫に手をかけたその時。
「朝美」
「あ、お父さん。あの子のことどうなった?」
おそらく、親元か警察か、どちらかへ連絡してくれただろう。そう推測していたが、
「あの子な、しばらく家で預かることにしたから」
「え?」
「坊主の家へ連絡したらな、あんまり感じ悪く、帰してくれなくて結構だとか言いやがるんでな。あんな親じゃあ家出もしたくなるってもんだ。確かに、このまま帰すんじゃかわいそうだ」
「お父・・・・・・さん?」
いくら尊敬する父の言葉とはいえ、それはないだろう。そう思い、しかし朝美は父の様子の奇妙さに気がついた。父の目には力がなく、言葉も同様、まるで何かに言わされているかのようだ。いずれも、普段の父らしくはない態度だった。
水っぽいカレールーは、火だけを止めて放置して、朝美は台所から飛び出した。
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イリサ「読んでくださりありがとうございました!」
先ほど下りてきた階段を上がり、そのまま土手の道を行く。この期に及んで少年は、未だに未練がましく川へとちらちら視線を向けている。よそ見をしていたせいで、通りがかった自転車にうかつにもひかれそうになっていた。
「こらっ。すみません、おじゃまして。ほらあんたも謝る!」
運転手の女性は気にしていない、と笑うが、少年は呆けたような間抜け面で女性を見上げている。何事か考えごとをしているらしい間の後、慌てふためき、
「ご、・・・・・・『ごめん、なさい』」
謝った。それはいいが、肩をこわばらせ、緊張しているように見えるのは朝美にも女性にもわかって、かえって女性は首を傾げていた。
「何もなかったんだし、これから気をつけてくれればいいのよ。それじゃあね」
少年と、ついでに朝美へもウインクなどよこして、女性は自転車にまたがり去っていった。2人揃って、別のことに気をとられて、ぼんやりと彼女を見送る。正気に返ったのは朝美が先だった。
「なんなの、あのオーバーリアクション」
少年と出会ってからというもの、こんなことばかり言っているような気がする。それだけ彼には奇異な行動が多かった。
「あ、あのさ・・・・・・。言わなきゃいけない時にちゃんと言葉が出てくるって、いいものだなって思って」
もじもじ、へその前で指をいじって、頬を染めてさえいる。言いそびれそうになったくせに、とちらりと思うが、少年が本当にうれしそうにするものだからつい口を噤んでしまった。
「見えた。あれがあたしの家よ」
「家? ・・・・・・っていうより、会社みたいに見えるよ?」
涼原の家の家が見えた時点でそこを指さして示したものの、どうやら誤解を招いたようだ。この距離では彼女の自宅の1階は、土手との高低差によって見ることはかなわないのだ。
「悪かったわね、おかしな形した家で。ほら、もう見えるでしょ。1階はあたしと父さんが住んでる家で、2階は父さんの会社の作業場になってんの」
彼女が、そして涼原の家の外観を見た者が決まったように「変わっている」という点は、屋根の上にもうひとつ建物が乗っているかのようなその構造だった。1階は、瓦屋根に縁側というシンプルな和風宅であり、その上に長方形のコンクリートの小屋が建っている。正しくは、1階の天井は平らになっていてその上に作業場が建ち、瓦屋根は1階と2階の中間から生えて縁側を雨から守っているのだが。2階への出入りは、1階の玄関とは正反対の位置に備えた階段からになっていて、普段、朝美は父の従業員達とは顔を合わせずに済んでいる。
が、本日はいささか事情が異なっていた。朝美は学級会で帰りが遅くなり、父の工場の就業時間である18時をまわっていた。2階の玄関からぞろぞろと連なり出てくる従業員の何人かが、土手の道に立つ朝美と少年を一瞥した。何となく胸のすかない思いになった朝美に、無邪気に声を投げるのは。
「おおーい、朝美!」
従業員を見送りに出てきて、娘に気がついた父、涼原裕二だった。朝美は疲労を覚えてはいたものの、父の笑顔に応えるため、少々無理もおして笑みを浮かべてみせる。
「ほら、いくわよ。あの人があたしのお父さん・・・・・・」
もとより、家出少年への対応を父に相談するため自宅へ呼んだのだ。少年を促そうと振り返った、そうして目に入った彼の様子に、またこれか、と、朝美は息を吐く。
「今度は何?」
少年はぼんやり、涼原の家の庭を見下ろしていた。それはまるで、先ほどまで――そして彼と出会った連日、少年がいつもそうしていたように――見えない川底を眺めていた目と同じだった。
少年は、少しとまどうように、朝美を見上げて伝える。
「この家から、あの川と同じ感じがするんだ。おれの探しているものが、どこかにあるような」
「探しているものぉ? あの川と、同じ・・・・・・」
呆れ混じりに、彼の言葉を繰り返したところで、朝美は引っかかりを感じた。あの川と、この家とにある、同じもの。
まさか、ね・・・・・・。覚えはあった。それも、彼女にとっては忌まわしい、あの出来事。それは確かにふたつの場所の共通点ではあったが、少年の探しているものと結びつけるにはあまり現実的ではないため、朝美はこれ以上考えないことにした。
少年を連れて玄関口へ回ると、2階から父が降りて帰宅したのとタイミングが重なった。
「おかえり朝美。いつもより遅かったんだな」
「ただいま、お父さん。学校で居残りがあったから」
「そうかぁ。そんなら今日は、夕食は父さんが作ろうか」
「いいよ。手伝ってくれるなら、お風呂とかお願いしてもいい?」
「そうか? そんならそうしようか」
「うん。ありがとう」
話の決着がついたところで、裕二は朝美の頭を、厚い手のひらでくしゃくしゃと撫でた。彼女の、自然のままにしていても整った、セミロングのストレートヘアーが乱れる。朝美は気にしないし、こうした父の癖が好きだった。父に限っていえば、頭を撫でられるのは純粋に気持ちよい。
「ところで、その小さい子は? 朝美の友達か? もう時間も遅いのに」
「友達じゃないわ。拾ったの、家出少年よ」
「へえ・・・・・・」
厳しい目で父を見上げ、訴えると、裕二は納得して頷いた。しかし、少年と向き合うにあたってその腹を顔に出さない。朝美にとっては馴染みのある、頼れる父の笑みを向けると、少年は恥入るようにしながら、
「こ、こんばんわ」
と、挨拶した。朝美は先ほどのことを思い出す。言うべき時に、言わなきゃいけない言葉を、か・・・・・・。
「こんばんわ。とりあえず上がってって、うちの自慢の娘の晩飯、食ってくか? そろそろ腹へってくるだろう。俺ぁもうぺこぺこでさー」
少年の相手を父に任せ、朝美は先に家へ上がった。両手にぶら下げた食材を、早く台所で処理しなければ。背後で少年の、お腹なら空かないよ、などと話しているのが聞こえた。
自慢の娘の晩飯、「自慢の」というのがどちらにかかっているのだか知らないが、朝美は自分がさして料理が得意だとは思っていない。何故なら、父は朝美が作ったものなら文句など言わず喜んで口にするため、味の良し悪しに対する指標がない。そして彼女自身、料理に際し量りなど使わず目分量で済ませてしまうため、作ったものの出来は毎回差があった。
「まずったなぁ・・・・・・」
出来上がったカレーは、分量を間違えたらしく、ルーがまるで液体のようになってしまった。これではまるで、カレーライスではなくカレーうどんになってしまう。いっそそうしてしまった方がいいだろうか、思い、朝美が冷蔵庫に手をかけたその時。
「朝美」
「あ、お父さん。あの子のことどうなった?」
おそらく、親元か警察か、どちらかへ連絡してくれただろう。そう推測していたが、
「あの子な、しばらく家で預かることにしたから」
「え?」
「坊主の家へ連絡したらな、あんまり感じ悪く、帰してくれなくて結構だとか言いやがるんでな。あんな親じゃあ家出もしたくなるってもんだ。確かに、このまま帰すんじゃかわいそうだ」
「お父・・・・・・さん?」
いくら尊敬する父の言葉とはいえ、それはないだろう。そう思い、しかし朝美は父の様子の奇妙さに気がついた。父の目には力がなく、言葉も同様、まるで何かに言わされているかのようだ。いずれも、普段の父らしくはない態度だった。
水っぽいカレールーは、火だけを止めて放置して、朝美は台所から飛び出した。
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