次元を切る刀を突きつけられるという状況において、わざわざ対する相手から目を離すなんて自殺行為だ。しかし俺は、事に及ぶ前のひととき、うつむき地面を睨んだ。案の定カンナさんがその隙に手を加えてくることはない。
地面には、俺がこの数時間、彼女と戦いながら地道に描いてきた魔術式の終点がある。こうして巨大で複雑な魔術式が完成したことは、この戦いが実にばからしいものであるかありありと突きつけてくれる。
体の疲労ばかりでなく、むなしさのあまり力が抜けそうになるのを奮い立たせて、俺は。体の支えにしていた式杖――地面に描いた魔術と連動した式を刻んだそれを、軽く持ち上げた。
杖の先が、カンナさんの突き出す次元の裂け目に入り込むと、地面の魔術式は一瞬にして黒く染まった。異次元と繋がり、その力を借りて相手を捕縛する魔術が発動した。黒い魔術式から4本の腕が飛び出し、まずはカンナさんの足を掴む。
彼女は驚いた様子は見せなかった。一瞬の出来事に呆気にとられたようで、遅すぎた反応に両腕を動かそうとした矢先その腕も異次元にとらわれた。
「そろそろ、茶番は終わりにしようか――高泉カンナ、さん」
拘束された四肢を突っ張らせたまま、彼女は目を見開いた。まぁ、そりゃ驚くだろうけれど、天竜の資料を追っていて自分の家の名前にたどり着いたあの時の俺の驚きとで比較したなら上回りそうな気もする。
「知っていたのね」
「ああ。春日居奏さんの知っていた範囲のことなら俺も、ね」
彼の名前を出した瞬間、ほんのわずか。見過ごしそうなくらいかすかに、カンナさんは傷ついたような顔を見せた。
「カンナさんこそ、知っていたのか?奏さんがアクアマリンの地下牢に入っても手記を綴っていたこと。それらは今も、春日居の子孫達に大切に保管され、受け継がれていることを」
あなたのことだから、知っていてあえて逃げ出してきたってことも十分考えられる。そう言ってやると、苦しげに、目の前の俺からも逃げ出すように顔を伏せる。
そもそも伝承による、天竜の名前は「カンナ」ではない。彼女は天竜エアー=リッサといった。今の彼女が天竜その人であるなら、「カンナさん」と呼びかける俺にそのまま答えるだろうか。彼女を起こした時だってそうだ。あの時俺は、あなたの名前はカンナさんだよ、と話したのに、彼女は迷わず自分の名前を「カンナ」と受け入れた。魔物には敬称をつける習慣になく、さん付けで話しかけても通じないことがほとんどなのだ。
あえて、逃げだそうと思えば叶う状況にしてみせた。いずれ戦うことになるとわかっている素振りで、彼女はそうしなかった。今だって、その気になればその能力でもって俺を仕留めることなどたやすかったはずだ。とても全力で戦っていたはずがない。
「極めつけは、こぉんな手間暇かかる魔術にほいほいひっかかってくれるところだ。俺がこの式を地面に描くのに何時間かかったと思うんだ?こんなのにひっかかる間抜けな魔物はいない、実戦でこんなことをしていたら描いてる途中で気が付かれて妨害される、っていうのは常識だろう」
だからこういった、地面、広範囲に魔術式を描くことで複雑で強力な魔術を発動させる場合には、あらかじめ準備しておくものなのだ。そうしておびき寄せるのが本来の用法で、3年前、アクアマリンでフェニックスの解放に挑んだ時だってそうしたのだから。
「この魔術にしたって、ご丁寧に足から順に上へと捕まえてみせたのに、あなたはその手にしてる刃で抵抗さえしなかった。出来るんだろう?わざわざ天竜お得意の、次元を切る能力に合わせた捕縛の魔術を使ってあげたんだからさ」
ただ彼女の手足を拘束するだけなら、わざわざこんな、捕縛の魔術としては最高位にあたる魔術を使う必要はない。たいていの魔物にとっては絶大な威力を誇るこの魔術も――なんたって、次元を切るなんて能力は最高に高度で稀少だ。魔力の使用料もばかにならない――天竜には通用しないと、わかっていた。
それをあえて使用したのは、一般的な捕縛の魔術なんかではさすがに体裁が悪すぎるからで。次元を切る彼女を捕えてみせる、そう納得させられるだけのレベルの魔術を示してみせる必要があったのだ。
そうして彼女と戦った何人かのソース達は、彼女の望む茶番を演じ、「天竜カンナ」を封印してきたのだろう。本当に世界にあだなす危惧のある「天竜リッサ」はすでにない。大義名分などないただの殺しをさせられて・・・・・・。
「300年前に捨てた家のことなんか今更だろうけどさ。高泉の家も、あなたのいた時代とあまり変わってないみたいだよ。反省がないというかさ。排他的で、ご立派な家名を守ることが大切で。それを守るためなら家族をしっぽ切りみたいにすることなんかなんでもない。俺の父親も当主に楯突いて家を追い出されたっていうし」
思わず、自嘲を込めたため息がこらえられない。親族の話をほとんどせず、物心ついた頃から数えて父の実家へ帰郷したことはまるでない。そんな、自らの生まれた血筋の奇妙さを思いがけ自覚することになり、たまの人間の島への帰郷の折りに母にそれとなく探りを入れて知った事実だった。まぁ、それが当時の父の選択であったなら、高泉の本家のことなんか俺に何の関わりもないけれど。
「あなたに同情していい事情があったのはわかっている。それでも、あなたの自己満足に、何人ものソースの手を汚してきたのは許されるべきじゃない。罪の意識に耐えられないあなたを、ソースの厚意でもって眠らせてあげるなんてばかみたいな親切は俺で終わりにする。あなたはもう天竜なんかじゃない、高泉カンナとして、これからもう1度生き直すんだ」
「いいわけ、わたしを野放しになんかしちゃって。今度こそ本当に捨て鉢になって、『天竜』の代わり、リッサの望みを叶えてあげるくらいしでかすかもよ?」
「天竜リッサが、何を望んでいるって?・・・・・・彼女は、天空竜の無念を晴らすため、この世界を終わらせるという使命を捨てたんだよ。春日居奏さんの、身も心も差し出した策略に乗っかってしまったから」
彼女も心得ていたであろうその事実こそが、カンナさんにとって何よりの楔だったのだろう。彼女は1度だけ、びくり、体を大きく震わせ、見上げた顔には涙が溜まっていた。
「奏さんは、あなたを、天竜の使命から解放することだけを望んだ。そのためにソースの力を利用することを選び、自らの意思でアクアマリンの地下に幽閉されて生涯を終えることになった。そして・・・・・・」
奏さんは必死だったろう。最愛の人であるカンナさんを救うことだけに。しかし、そのためにとった手段は、1人の女性であるカンナさんにしてみれば屈辱極まりないものであるはず。俺の魔術に拘束されている今の彼女は耳をふさぐことは叶わないけれど。
「リッサに天竜の使命を捨てさせるため、彼女に、奏さん自身を愛させることにしたんだ。天空竜よりも大事なものがこの世界に出来たなら、リッサは世界を終わらせることなど出来ないからね」
現在のアクアマリンにおいても、奏さんの子孫である春日居の家が優遇されているのも彼の名誉によるところが大きい。当時のアクアマリンにおいて奏さんの選択は、天竜から世界を守るために、ソースとして、身も心も命も魂も、アクアマリンに殉じたのだ。アクアマリンにとっては天竜を滅ぼすことも、ソースを魔物の手中に囲い無力化することも、同時の同じくらい願ってもないことだったから。
「ひどい話だよなぁ。世界を守るため、なんて聞こえはいいけれど、実際にやったことは1人の女性を、別の女性を救うために騙して、心を取り上げたようなものだからな。まぁ、奏さん自身はそういった行いの代償はきっちり払ったようだけど。彼の魂は今、深く眠りについたリッサと共にある。カンナさん、あなたを守るために、奏さんはリッサと心中したんだ」
「そう・・・・・・あの日、わたしと出会うことがなかったら、カナちゃんはあんな死に方をしないで済んだのよ。わたしがいたせいで彼の一生を台無しにしてしまった」
奏さんの手記にしたためてあった、2人の出会い。カンナさんは天竜のために家も人間の島も追われて、アクアマリンへの船に乗り込んだ。そこに乗り合わせた奏さんとの、偶然の出会い。それがなかったなら、果たして奏さんは1人の人間として、まっとうに生きて、それなりに幸せな生涯を送ることが出来たのだろうか。
「本当、救いようがないよ。あなたも奏さんも。好き合って、お互いにとって必要な選択をしたつもりになって、結局は2人共、自己満足に道を閉ざしてしまった」
俺個人の見解としては、奏さんは、カンナさんと出会わなかったとしても何らかの理由で死に急ぎそうな気もするけどな。俺自身にも言えることかもしれないが、そうでもなければわざわざソースになんかなりはしないだろうから。
「そうだろう?奏さんはカンナさんを救ったつもりで、あなたはその自己犠牲そのものに罪の意識を背負わされてしまった。いくら命が助かって天竜リッサから解放されたって、カンナさんはちっとも幸せになれていない。何よりあなたの幸せを願った彼の望みは、カンナさん自身のせいで叶うことがない。カンナさんにしたって、奏さんが自分のために、奏さん自身の人生を捨てることなんか望んでいやしなかった。その結果が今もあなたを苦しめているんだから、これだって、奏さんの自己満足に過ぎないじゃないか」
だったら結局どうすれば良かったかなんて、俺にどうこう言う資格はない。ソースとなった奏さんは、目的こそカンナさんを救うこと以外になかったけれど、結果的には今の世が天竜に脅かされず安寧であるのは、奏さんがソースとして成し遂げたことなのだから。
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