「約束、ねぇ・・・・・・」
ぽつり、マージャの呟くのがかすかに聞こえた。ここから表情はうかがえないので、どんな感情が込められているのか、声色から想像するしかない。
「うらやましいもんだね。俺がティアーとした約束なんか、けっこうろくでもないもんだから」
「ティアーと?」
「ああ。俺がソースに近付くのは、あいつが死んでからにするって約束したのさ。それまでは俺のこと、仲間にも一切打ち明けないって条件で」
「・・・・・・それは、本当の話か」
そう訪ねる豊の声は、こちらもやはり声から推測するしかないが、苦しげなものだった。
「おまえだってそこが引っかかってたんだろ?俺が魔物だっていうなら、ティアーが気がつかないはずがないって。あいつ、1日でも多く、何でもない学生生活ってやつを楽しみたかったんじゃね?高泉と一緒に、さ。こう言えばおまえも納得するよな」
「――だからって、アクアマリンの人間がよくもそんな条件を受け入れたもんだな」
「受け入れたっつーか、俺から言い出したことだし。俺にだって、人間の学生生活ってやつはずいぶん魅力的だったしな。ほとんどの奴は食うにも困らず守られた境遇の中にいるってのに、つまらないことで何かしらの不満で鬱屈したりして右往左往してたりするの、傍目に眺めてっと楽しいよなー。勉学に励むってのも・・・・・・俺がやらなきゃならないことを忘れさせてくれて、悪くなかった」
その言い様は、確かに過ぎ去った日々を懐かしみ、慈しむものだった。
「だけど、ティアーが死んだってことは、それも終わりだ。実際、あんまりのんびりしてもいられないし、約束も一応守ったし――あ、そういや柴木の時は別かな。シヴァの奴に、アクアマリンの方へ今の状況チクられたくなかったら協力しろって脅されて、ティアーの足止めさせられてさ」
「ごたくはいいんだよ。てめえの目的は何だ」
今度は明確な殺意をにじませて、豊は言った。
「おまえさ、自分がヴァンパイアだから死なないとか思ってないか?俺はマージャ、呪われし石の種族だって知ってるだろ。この魔術道具の制御がなければ、おまえの全身を一目で石化させることが出来る。その点、ソースの魔力全開の魔術壁なら、俺の魔術なんざなーんの効果もない。反射型でも使われた日にゃあ俺の方が見事な石像になっちまうだろうな。そうだろ、高泉」
2人からうまいこと存在を隠せている・・・・・・なんてお気楽なことを考えていたわけではなかった。遠くエメラードやアクアマリンからさえおぼろに感知できるという、ソースの底知れぬ魔力を俺は持っているのだから。
ある決心をして顔を上げると、目の高さに、エメラルドのような光を放つサクルドが現れた。爪の先ほどか、と思わせるような小さな小さな顔には、穏やかな笑みを浮かべ、音もなく宙を移動し俺の右肩に腰を落ち着かせた。
俺は立ち上がると、数歩進んで石化した平均台をまたぎ2人の前に立つ。
ちらり、確認すると、豊の腕はすでに修復が済んでいるようで安心した。
「意外とやる気になってんじゃん」
「ああ、やってやるさ。おまえがソースを狙ってるっていうなら、俺ひとりで相手になる」
本当はサクルドも一緒だけど、とは思っただけで口にはしなかった。この言葉は、マージャを牽制するためではなく、豊に俺の意思を伝えるためだから。降り懸かる火の粉を払うのは、俺自身の手でするのだという決心を。
「ユイノ。手出しをしたら、いくらあなたでも許しませんよ」
サクルドが、的確に俺の気持ちを代弁する。
「待てよ。おまえ、そいつにとどめを刺せるのか」
「今までの俺なら難しいだろうな。だけど、今日、今回からは嫌でもそうしなけりゃならない。豊にそれができるからって、こんな汚いこと、他人にまかせきりにしていいって道理はないだろ」
「だーよなー」
どういうわけかやたらと調子よく、言い換えれば満足そうにマージャが同意を示した。
「いくら信頼出来る友達だからって、頼りきりってーのは気分よくない。そんなん男じゃないよな」
「まあ、簡単に言えばそんなところかな」
簡単に、というより馬鹿っぽくといった感じだが。そして、この状況で奴に同意するのは不本意ではあるが適切なたとえであることは認めてやるしかない。
「・・・・・・敦。本当にそれでいいのか?」
静かに、豊がそう呟いた。ああ、こういう展開での常套句だよな、なんて思いながら。実際に自分が言われてみると、固めたはずの心をこんなにも揺らがせてくれる言葉っていうのもないんだなと感じていた。
「そんな風に自分の生きる道を決めちまっていいのかよ。第一、おまえはそういう人間じゃない」
「そういう、って、どんな人間のことだよ」
「自分のためだからって、人を傷つけるようなことを平気で出来る性格じゃないってことだ。そんなものの考え方をしたことなんかないはずだ」
豊の口調は、思いの外、静かなものだった。どんな感情が込められているのか、意図的に隠しているかのような、訥々とした説得だ。
「自分で気付いてるか知らないけど、おまえは引きずるタイプなんだよ。でなかったら、たかが野良犬一頭死んだってことに何年も固執するかよ」
俺は、感情を爆発させることのなかった豊にならって、出来うる限り落ち着いて、言葉を選んだ。
「みんなが俺のために色々としてくれたこと、感謝してるんだ。だけど、俺は、自分の命の責任は自分で持ちたい。俺を守るのに誰かの手を汚させるのは、もうまっぴらだ。・・・・・・俺の望みは、ただそれだけだよ」
そう伝えると、豊の表情がほんの少し動いた。それはいかにも寂しげだったので、こちらとしてもささやかな罪悪感が芽生えてしまうのだった。
俺の方も、言いながら、どうしようもないむなしさを感じていた。今の自分がどんな表情をしているのか、まるで想像がつかない。
「マージャ・・・・・・いや、佐野学。おまえに恨みはないが、仕掛けてきたのはそっちだ。今日、おまえを退けることを第一歩にさせてもらうぞ」
「そりゃあ、望むところだね」
言いながら、マージャは自らのゴーグルに手をかける。その動きが緩慢なことに、俺は疑問を抱いた。本気でやりあおうというには、マージャには真剣味というか・・・・・・殺気が足りないように思える。
先ほどだって、自ら弱点を教えたりしていたし。あれを信用していいんだろうか。素直に考えたら、罠だと思うべきなんだろうけど。
ーー彼の一族の石化魔術の弱点が、反射の魔術壁だということは事実です。マージャが何を狙っているのかまではわかりませんが・・・・・・。
言葉でない意思の伝達で、サクルドから補足があったけど。それが本当なら、まるで自分から殺される気でいるようなものだ。何を考えているんだかわからない。
「これで最後にするつもりだから、なんとかの土産に教えてやるよ。俺の魔物名は、『アーチ』だ」
「へぇ、アーチ・・・・・・ねえ。おまえにピッタリの名前じゃん。そっちの名付けの師匠はいいセンスしてるね」
きちんと確認したかったのだが、エリスから授かったアーチという名前には、俺自身の魔術式の相性と同時に言葉としての意味も込められているらしい。
それじゃ、始めるか。
奇遇、とでも言うべきか、マージャと俺の、ささやき程度の宣言は見事に一致した。
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